2021年1月6日
NEWSポストセブン
2020年12月31日、嵐は無観客生配信ライブ『This is嵐 LIVE 2020.12.31』を終え、グループでの活動に区切りをつけた。このライブが実現するまでには、人しれぬ苦労があった。
2020年いっぱいで活動休止することを発表したのは2019年1月。5人はそこから、2年という年月をかけてファンに感謝を伝えながら、長い旅を続けた。その間には、ツイッターなどSNSの解禁やサブスクリプション型音楽ストリーミングサービスで楽曲を配信するなど新たな挑戦もして、ファンを楽しませてきた。
旅の途中で、新型コロナウイルスが嵐とファンの間に立ちはだかった。2020年4月に予定していた中国・北京での公演は中止。同年5月に新国立競技場で開催されるはずだった「アラフェス」は延期になり、その後、11月に無観客で収録したライブを配信するという変更を余儀なくされた。
同年11月に予定されていた米ロサンゼルスでのライブも中止。会場は、2019年11月に配信されたシングル『Turning Up』のMVの撮影地だ。決めていたことがその通りにいかないもどかしさを、5人の中で最も感じていたのが松本潤(37才)だった。
「嵐のプロデューサーでもある松本さんは“2019年から動いていたことが崩れては立て直す、その繰り返しだ”とかなり精神的に参っていました」(芸能関係者)
それでも、それだからこそ、嵐最後の日には強いこだわりを持ち、貫いた。
深夜2時まで続いた松潤の“ダメ出し”
5人は活動休止を発表してから、12月31日にライブをやることを決めていた。
「コロナ禍で無観客でのライブが現実味を帯びてきた5月から、さまざまなパターンのライブ内容を考えていたそうです」(音楽業界関係者)
時間は限られていた。打ち合わせが始まったのが2020年の11月、リハーサルが本格化したのは12月初頭だった。メンバーは東京・渋谷にあるジャニーズ事務所のスタジオに何度も集結した。
「各局の特番撮影後に集まるなど多忙を極めていたそうです。リハをしながらも新しいアイディアを出し合うなど、最後までいいライブを作ろうと考えていました」(前出・音楽業界関係者)
リハーサルの場を東京ドームに移したのは12月27日からだったという。その間、メンバーもスタッフも、最悪の事態にだけはならないようにと万全の対策を取っていた。
「メンバーは外食せず、感染対策を徹底していたし、PCR検査を定期的に受けていたそうです。スタッフも充分に気をつけて、なかにはライブの直前には家族との接触すら避けるため、会場近くのホテルに泊まり込む人もいました。
リハはだいたい21時には終わり、4人のメンバーはそのまま帰宅していました。ただ、松本さんだけは残ってスタッフと演出について何度も話し合っていた。その間、松本さんの睡眠時間はかなり短かったはず」(ライブ関係者)
細かな調整は日付が変わってからも続けられた。
「今回のライブでは、巨大なLEDウォールや約40台のプロジェクター、AR技術など最新のテクノロジーが駆使されました。抽選で選ばれたファンの姿やメッセージが会場に映し出されるなど、先駆的な試みもちりばめられた。その分、準備にも調整にも時間がかかったのです」(前出・ライブ関係者)
時には、松本の厳しい声が会場に響くこともあった。
「“もっと明るく!”“ここは絞って!”など、松本さんがリクエストを出すと、スタッフがそれにすぐさま応え、見え方をチェックする。それを繰り返して、最高のライブを作り上げていったのです」(前出・ライブ関係者)
ライブ前日も、松本が演出の最終確認を終えたのは日付が変わった午前2時を回っていたという。迎えたライブ当日、メンバーは16時までに会場入りすると、最終リハーサルを18時半には終えた。そして20時、ついにそのときを迎えたのだった。
※女性セブン2021年1月21日号