2021年7月24日
オリコン
コロナ禍でさまざまな産業が苦境に立たされているが、日本の古きよき“文化”ともいえる駄菓子業界もその一つ。単価が安く薄利な上に、コロナ禍も相まって、小売店の閉店や、定番商品の廃盤など暗いニュースが多い。そんな逆境を、アイデアで跳ね返そうと気概を見せている駄菓子メーカーがある。今年発売70周年を迎える『ココアシガレット』や『ミニコーラ』などを製造販売するオリオンは、さまざまな創意工夫で30円という価格を維持し、業績を伸ばしている。駄菓子文化の灯を守り続ける同社の意地と、駄菓子への想い、さらに未来について話を聞いた。
■「100円握りしめて3つ買える。時代が変わっても、そこは守らないといけない」
昭和の時代にタイムスリップしたかのようなレトロなタバコを思わせるパッケージと、紙巻きたばこ状のラムネ菓子が、70年間にわたり愛され続けている元祖パロディー商品『ココアシガレット』。その始まりは、森永製菓から独立した3人が、戦後、まだ砂糖が配給制だった時代に「子どもの大人への憧れをお菓子で実現させたい」という思いから生み出した。
「縁側でタバコを吸っているお父さんの姿を見て、『早く大人になりたい』『プカーッとタバコをふかしたい』という思いを抱いている子どもたちに向けて、タバコのパッケージのようなお菓子を駄菓子屋の店頭に並べたところ、飛びついたと伝わっています」(オリオン 常務取締役 高岡五郎氏/以下同)
吸う人が少なくなった今では考えられないが、当時タバコは「大人のカッコいい嗜好品」。それに憧れた子どもたちは、こぞって『ココアシガレット』を口にくわえて、タバコのようにふかすフリをして遊んでいたという。
駄菓子界の人気者となった『ココアシガレット』だったが、70年代から80年代にかけて国際化の波を受け、チョコレートやビスケット、スナックなど菓子が多様化し、“子どものおやつ市場”は競争が激化。加えて、73年には第1次オイルショックで砂糖が高騰や、84・85年には、「毒物入りの菓子」がスーパーに置かれたグリコ・森永事件によって売り上げが落ち込むなど、何度も苦境に立たされてきた。
そんな苦境にも負けず、『ココアシガレット』を製造し続けてこられたのは、同社のチャレンジ精神があってこそ。84年には生産の機械化に着手するとともに、商品にバーコードを付けて、コンビニにも販路を開拓。91年には、工場を富山県に移転し、完全自動化で製造できるラインを作り上げた。
「ピンチのときにはむしろ投資をするという考えのもと、やり方を刷新し、良い商品を安定して提供できるよう、取り組んできました」
発売当初の10円から、1973年に20円に。約30年前に現在の30円という価格を設定して以降この価格を守り続けているのも、そのチャレンジ精神あってこそ。
「販路は拡大しましたが、うちのルーツは駄菓子屋。そこで選ばれるお菓子でなければなりません。お小遣いが限られている子どもたちは値段に厳しい。30円なら100円握りしめて駄菓子屋に行って3つ買えます。そこは守らないといけないと考えてきました」
■あいみょん効果で若年層にも『ココアシガレット』の人気に
『ココアシガレット』、同社のもうひとつの看板商品である『ミニコーラ』とユニークな商品を、低価格で提供し続ける背景には、同社の商品開発に対するポリシーが大きく影響している。
「うちの開発コンセプトは “見て楽しい、もらってうれしい、食べておいしい、また欲しい”の“4しい”(フォーシー=星)です。そこに社員の“タマシイ”が加われば、オリオンのトレードマークである5つ星の商品になる。“心”が入っていなければ、商売を続けることはできません」
その“心”こそが、子どもを想う気持ちであり、駄菓子への愛情であり、みんなを笑顔にしたいという遊びゴコロとチャレンジ精神だ。
そんなオリオンが驚いたこんなエピソードもある。レンズ付きフィルムのパロディー商品で、シャッターを押すとレンズ部分からラムネ菓子が出る『食べルンです』を発売したときのこと。発売後、本家から電話が入り、クレームかと思いきや……。
「販促品として使いたいということでかなりの量の注文をいただきまして、それが引き金になって爆発的なヒットとなりました。富士フイルムさんの懐はすごいです(笑)」
「大人が笑えば子どもも笑う」も商品づくりのモットーと語る高岡氏。そのオリオンならではの“心”によって、『ココアシガレット』も10年前には禁煙ブームを逆手にとって、新たな展開をみせ、話題を呼んだ。
「『ココアシガレット』も2011年に60歳を迎えました。当時は、禁煙ブームもあって、タバコに対して逆風が吹いていました。でも、人は還暦になると生まれ変わると言われています。パッケージに『オリオンはあなたの禁煙を応援します』という一言を入れることによって、『ココアシガレット』は、禁煙グッズとして生まれ変わりました」
ちなみに、18年は、加熱式たばこのパッケージをモチーフに、舞子さんをデザインしたミント菓子「myCOS(マイコス)」も発売。ツイッターで大きな話題を集めた。
また、19年2月、あいみょんのインスタグラムへの投稿をきっかけに、若年層を中心に『ココアシガレット』の人気が再燃。現在、スマホケースやTシャツなどの関連グッズも発売しているほか、他企業からのコラボの依頼も多く、昨年は、酒造メーカーの千代の園が『ココアシガレットに合うお酒』を発売。今年は、アイスクリームやゼリーの販売製造を手掛けるセリア・ロイルとのコラボで『ココアシガレットアイスバー』を発売した。
「スケジュール的にタイトなものも多いんだけど、頼まれたらとりあえず、なんとかするのが、企画する人間の務め。1回は実現できる方法を考えます。断ってしまったら何も残らないですけど、やれば次の新しいアイデアが浮かんでくるので」
■駄菓子の灯を消さない=“子どもが社会体験できる場”をなくさないことにつながる
このようにあの手この手で私たちを驚かせ、楽しませてくれているオリオン。看板商品の『ココアシガレット』は工場をフル稼働して生産するなど、本業をおろそかにすることなく、新たなアイデアを次々と形にして、時代に迎合していく。これこそが、日本の古きよき“駄菓子文化”を守っていくために必要なことと言えるだろう。
「正直な話をすれば、少子化の影響もあって、駄菓子文化が今後大きく伸びるということはないと思います。でもなくなることもない。『山椒は小粒でもピリリと辛い』という言葉もありますが、(市場)規模は大きくなくても、存在感を示していきたい。これからも駄菓子の灯を守って、次の世代に繋いでいくために、話題が尽きることがないよう、SNSで取り上げてもらえるような、さまざまな取り組みを行っていきたいと思っています」
そのうえで、「駄菓子の火を消さない」と意欲を語る。
「昔から駄菓子屋は、子どもがお小遣いを持って行って、自分で何を買うか考えるとというところに意味がある。お金の勘定を覚えられる、いわば社会体験ができる場でした。日本以外、世界にはそういう文化はありません。ですから子どもが(たくさんの駄菓子のなかから)選べるように、他社が元気でないと困るんです。その灯が消えないように、うちだけでなく、他社と一緒に業界の活性化に努めていきたいと思っています」
15年には、日本の誇れる文化である駄菓子の良さを世界に広げようと、駄菓子メーカーなど18社で「DAGASHIで世界を笑顔にする会」を結成。さらに、18年からは、業界を盛り上げるべく、駄菓子メーカー5社とともに、駄菓子で世界を笑顔にする7名組のアイドルグループ、da-gashi☆をサポートしている。
「同業他社をライバル視するのではなく、駄菓子業界のなかで、共存共栄をしていこうということですね。それぞれのメーカーは個性がありますから。うちは、70年間売れ続けてきたココアシガレットを、100年以上売り続けたい。いつか世の中からタバコがなくなったとしても売れている。そういう商品にしていく努力はしていきたいと思っています」取材・文/河上いつ子