「”一言もしゃべらない24時間”に耐えられるか」老害にならないための”あるトレーニング”

2021年7月10日

プレジデントオンライン

アンガーマネジメントの専門家、安藤俊介さんは「“自己顕示欲”が高い人は老害になる可能性がある」と指摘します。「自己顕示欲」と上手に付き合うための5つのヒントとは――。
※本稿は、安藤 俊介『怒れる老人 あなたにもある老害因子』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。

■自己顕示欲を手放す方法

自己顕示欲を手放すためには、自分が人の役に立てない、立たなくても平気であることを受け入れる気持ちが必要です。

人の役に立つことや人から喜ばれることで感じる、人から認められることで持つものを「自己有用感」と言います。自己肯定感との違いは、そこに第三者が入るか否かです。

自己肯定感は本人さえいれば持てるものですが、自己有用感は誰かがいて初めて持てるものです。つまり、他の人の評価なしには持てない感情です。

歳を重ねると肉体的な衰えが始まるので、今までできたことが当たり前にはできなくなります。記憶力が低下し、老眼になり手に入れられる情報量が減ります。体力はなくなるので前のようには活動もできなくなり、手先が思うように動かなくもなります。自分では何も変わっていないし、気力も充実していると思っているものの、身体的な能力の低下はそれを補えなくなります。

■老化への抵抗が自己顕示欲につながる

こうしたことは自我の崩壊を意味しています。今までの自分とは違う自分になっていくことを受け止められれば、その時なりの自分でいることができますが、以前と同じ自分でいたいと思っていると、崩れ行く自分を認めることができません。

役に立たなくなることへの不安から、自己顕示欲がより強くなり、自分をアピールします。歳を重ねてからの自己顕示欲の強さは、老化への必死の抵抗の現れとも言えるのです。

■その1 クワイエットデイをつくる

自己顕示欲の強い人は自分の意見、存在をアピールしたい人です。

求められてもいないのにアドバイスをしたり、必要のないところで意見を言ったりと、しなくていいことをして顰蹙をかいます。言ってしまえば、黙っていることができません。

そこでクワイエットデイをつくります。直訳すれば静かな日ですが、ここでは沈黙の一日と訳しましょう。

沈黙の一日とは24時間しゃべらない日のことです。文字通り「言葉を発してはいけない日」です。会話することも禁止なので、電話も禁止です。さらに自分の意見を言うことも禁止です。例えば、しゃべれないからと言って、SNSやネットに何か書き込んだりするのもNGです。

一日黙っているのは多くの人にとって苦痛なことです。コロナ禍の中、人とコミュニケーションをとる機会がめっきり減り、どうかすると一日家にいて、気づけば誰とも話さなかったなんていう日があったという方は多いのではないでしょうか。

これが自己顕示欲の強い人であれば尚更です。誰とも話さないことで、自分の存在を誇示することができず、自分が世の中から仲間はずれにされたような気持ちになり気が滅入ります。

しかし、口をきかないことで自分自身と会話する時間を長くすることができます。普段、自分が何を考えているのかじっくりと向き合うには、ちょうど良い時間です。

24時間、クワイエットデイが難しければ、はじめのうちは移動の間だけ、車に乗っている間だけといった具合に時間を区切ってもよいでしょう。

自分から何も発しない時間を意図的につくることで、自己顕示欲を大人しくさせることに慣れていきます。

■その2 役に立たないことをする

自己顕示欲の強い人は人の役に立ちたい、立てると思っている人です。私達は子供の頃から人の役に立つことが良いことと教えられてきました。人の役に立てれば、相手が喜んでくれるのは勿論のこと、自分も気持ち良くなるので一石二鳥です。

私達は気づけば、人の役に立とうとするあまり、役に立たないことを極力避けるようになっています。

役に立ちそうもないことをしていると、「それをして何の役に立つのか?」とつい疑問を持ち、時には口にもします。役に立つことは美徳であると体に染み付いているからです。

世の中には役に立たなくても、価値があるものがあります。むしろ役に立たないからこそ、とてつもない価値を持つものもあります。

例えばアートです。誤解を恐れずに言えば、アートは直接的に何かの役に立つことはありません。

アートを身近においておくことで生活に潤いが出るとか、絵画を見ることで心が洗われるといったことがありますが、ボランティアで人助けをするといったことや、スマホのように生活に役立つというのとは、「役立つ」という意味において違います。

本来、自分が楽しむためだけにやっていたはずなのに、いつの間にか自己顕示欲を満たすために誰かの役に立つことが趣味を続ける目的に変わっている場合もあります。

もちろん、そういう趣味の楽しみ方があっても良いのですが、ここでは敢えて誰の役にも立たない、人から「何のためにやっているのか?」と疑問を持たれるようなことに取り組んでみることを、自己顕示欲を暴走させないためにお薦めします。

■その3 世間の評価のために趣味をしない

人の役に立つのではなく、自分のために純粋に楽しむことをお薦めしましたが、人の役に立とうとする誘惑以外にも、趣味の世界には自己顕示欲を満たすための誘惑があります。

その典型的なものが「賞」です。写真、絵画、陶芸、俳句、小説といった応募することで○○賞が狙えるようなものがあります。まさに「賞」は自己顕示欲を満たすにはぴったりの場です。○○賞を取ることで多いに自己顕示欲が満たされるからです。

今ある趣味は誰かに評価されたくて続けているものなのか、自分だけでも楽しめればそれで十分なのか、どちらでしょうか。

SNSへの投稿も同じことが言えます。自分が純粋に楽しむだけではなく、その楽しんでいる姿を見てもらいたいとSNSに投稿します。SNSは承認欲求のメディアとも揶揄(やゆ)されますが、多くの投稿は自分を見てほしい! と評価を求めて投稿しているのであって、自分の備忘録のために投稿している人は少数派です。

もし誰かの評価がなければ楽しめないようなものであれば、それは誰かのためにやっているといっても過言ではありません。その誰かがいなければその趣味に意味がなくなってしまうのですから。

世間から評価をされなくても自分が没頭できるものは何でしょうか。純粋な興味から始めたものが、いつの間にか自己顕示欲を満たすことがその趣味を続ける目的になっていないか考えてみましょう。

■その4 話が面白い人よりも話が聞ける人になる

今の世の中は話をしたい人の方が圧倒的に多く、話を聞きたい人は圧倒的に少数派です。

そしてこのことに気づいていない人が多すぎます。

これは話の面白い人がモテると勘違いをしている人が多いことからわかります。

いかに雑談をするか、しゃべり上手になるかといった本が何冊も出版されているにも関わらず、聞き上手になるための本は思いの外少ないです。あるとしてもカウンセラーやコーチなど、人の話を聞くことを生業にする人向けの本だったりします。

実はカウンセラー、コーチがクライアントから恋愛感情を持たれることはよくあります。だからこそ、そこの線引きをしておかないと、大きなリスクになることがあるので、気をつけましょうというのが常識です。

なぜ、カウンセラー、コーチが恋愛感情を持たれるかと言えば、それは話を聞いてくれるからです。人は話を聞いてもらえることで、「自分が受け入れられた」と思うからです。カウンセラー、コーチ側はクライアントが話しやすくなるよう受け入れることをしているのですから、そう思われることは成功ではあるのですが、恋愛対象に誤解されないように十分に注意し配慮します。

しかし、クライアント側からすればそこを誤解してしまうことがあるのです。

人気者になるために聞き役にまわりましょうということではないのですが、話が面白い人よりも、話が聞ける人の方が、ずっと需要があるのを知っておくことは、自己顕示欲を手放す上でのヒントになるでしょう。

■その5 説教話、昔話、自慢話をしない

説教話、昔話、自慢話を「歳をとってやっちゃいけない3つの話」として語ったのはタレントの高田純次さんです。私は番組で何度かご一緒させていただいたことがありますが、本当に紳士で気さくで軽やかな印象の方でした。高田さんを拝見する度に、こんな雰囲気を持って歳を重ねることができたら、さぞ素敵だろうなと感じました。

3つの話はどれもついしてしまいがちなものばかりです。

説教話は、自己顕示欲の現れ

自分が持っている知識、経験が役に立つ、自分の方が正しいという思いから説教をします。

本当にそれらの知識、経験が後進にとって役に立つものであればよいのですが、得てして独りよがりなものになっています。また説教という言葉には多分に上から目線というニュアンスが入っていて、聞かされる人にとっては迷惑でしかありません。

今のように変化が速い時代、年長者の知識、経験は役に立たないどころか、かえって邪魔になることが往々にしてあるくらいの意識でいて丁度良いのではないでしょうか。

昔話の裏に隠れているのは執着

昔は良かった、昔はこんなではなかったと自分が良かった時のことを話します。

昔話を聞かされる側は、そんなに昔が良かったと言われても今は昔ではないし困ります。あるいはなんて時代錯誤な考え方をしているのだろうと呆れます。

目の前のことを見れずに昔に執着する可哀想な年長者ではなく、今を楽しむ、加齢を楽しんでいる年長者と見られた方が、自分もそうなってみたいと周りに人は集まるでしょう。

自慢話の裏にあるのは「認めて欲しい」からくる孤独感

自慢話をする人は周りから認められているという実感が希薄です。

だから自分から進んで認められるようなことを言います。ただ、往々にしてそれは聞く側からすれば鼻につくものになりますし、また感心するようなものにはなりません。

それがより孤独感を強めることになってしまいます。

さて、説教話、昔話、自慢話をしないとしたら、他に何を話せばよいのでしょうか。先にも書いたとおり、何を話せばいいのか考えるのではなく、どう聞けばいいのか考えることです。

自己顕示欲の裏に隠れているのは自己有用感ですが、人の役に立ちたいと思うのであれば、自分の話をするのではなく、人の話を聞く側になった方が自己有用感を高めることができるのです。結果、迷惑になるような自己顕示欲を手放すことができます。

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安藤 俊介(あんどう・しゅんすけ)
日本アンガーマネジメント協会代表理事
アンガーマネジメントコンサルタント。怒りの感情と上手に付き合うための心理トレーニング「アンガーマネジメント」の日本の第一人者。ナショナルアンガーマネジメント協会では15名しか選ばれていない最高ランクのトレーニングプロフェッショナルにアジア人としてただ一人選ばれている。主な著書に『アンガーマネジメント入門』(朝日新聞出版)、『あなたのまわりの怒っている人図鑑』(飛鳥新社)、『私は正しい その正義感が怒りにつながる』(産業編集センター)等がある。著作はアメリカ、中国、台湾、韓国、タイ、ベトナムでも翻訳され累計65万部を超える。
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(日本アンガーマネジメント協会代表理事 安藤 俊介)