大阪・新世界の「づぼらや」100年の歴史に幕

2020年9月15日

産経新聞

 大阪・新世界の老舗フグ料理店「づぼらや」(大阪市浪速区)が15日、新型コロナウイルスなどによる営業不振で、創業100年の歴史に幕を下ろす。

 巨大なフグのちょうちん看板は、大阪の象徴として親しまれてきたが、フグの集積地といえば山口県下関市なのに、なぜ大阪にフグ料理の文化が根付いたのか。味にうるさく値段にシビアな大阪人を納得させた先駆けが、「づぼらや」だった。(木下未希)

 大阪湾ではほとんど水揚げがないが、業界内では全国のフグの約6割が大阪で消費されているといわれている。なぜ、大阪ではそんなにフグが食べられているのか。

 大阪府岸和田市の「ふぐ博物館」館長で、老舗フグ料理屋「喜太八」(同市)の店主、北浜喜一さん(92)によると、日本人はフグを縄文時代から食していたと推察される。だが、フグを食べて中毒死する人が相次いだため、安土桃山時代に豊臣秀吉が「河豚食禁止令」を発令。禁止令は江戸時代も続き、明治まで残った。

 だが、「フグなんて食べて死んだらかっこ悪い」と考えた武家文化の江戸に対し、町民文化の上方では闇市場で取引され、こっそり食べていたという。当時は大阪湾でも大量のフグが取れており、禁止令下でも大阪のフグ食は文化として根付いたという。

 昭和23年には、中毒死の危険性があるフグを安全に食べるため、調理販売を免許制とした「ふぐ販売営業取締条例」を、大阪府が全国に先駆けて制定。これを機に、フグを扱う料理屋が大阪で徐々に増えていったという。

 高級魚のフグ食が、庶民の間にまで根付いた背景にあるのが、「づぼらや」の存在だ。北浜さんは「当時、フグは取れたてを生でさばくことが主流だったが、『づぼらや』は冷凍技術などを駆使し、鮮度を保ちながら安価で年中提供できる方法を確立した。フグ料理を大衆化したのが最大の功績だ」と話す。づぼらやはテレビCMも放送。スーパーや市場でもフグが販売されるようになった。

 フグ料理に欠かせない「ポン酢」も、づぼらやとの縁が深い。「旭食品」(大阪府八尾市)は、づぼらやのポン酢をまねて人気商品「旭ポンズ」を開発したという。

 高田悦司社長(67)によると、ポン酢がまだ家庭に浸透していなかった50年以上前、づぼらやのポン酢の味に魅了された創業者が「家庭でもこの味が味わえるように」と試行錯誤し、約3年かけて開発。高田社長は「づぼらやがなかったら旭ポンズは生まれなかった。感謝しています」と話す。

 創業100年の節目に、その歴史に幕を下ろす「づぼらや」。北浜さんは「果たしてきた功績が大きかった分、感慨無量。同じフグ料理屋として、とても尊敬していました」と話した。