デビュー35周年、「ジャニーズ最強」と評された少年隊の実力

2020年4月26日

NEWSポストセブン

 今年、デビュー35周年を迎える少年隊が復活する日は来るのだろうか──。錦織一清、植草克秀、東山紀之の少年隊は1985年12月、『仮面舞踏会』でデビュー。オリコン初登場1位を獲得し、当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)でも6週連続1位に輝いた。その後も、『バラードのように眠れ』『ABC』などヒットを飛ばし続け、NHK紅白歌合戦にも8年連続出場した。

 1962年のジャニーズ事務所創業以来、ジャニー喜多川氏は何組ものグループを育ててきたが、少年隊への力の入れ具合は格別だった。

 デビュー前の約4年間、3か月に1度ほどのペースで海外に渡り、本場のエンターテイメントを学ばせた。ブロードウェイのミュージカルを何度も鑑賞し、マイケル・ジャクソンの『スリラー』の振付師であるマイケル・ピータースの1日8時間に及ぶダンスレッスンを受けさせたこともあった。

 1980年に田原俊彦と近藤真彦がデビューしてジャニーズ事務所は再興したが、1984年にはチェッカーズや吉川晃司など、他事務所からアイドルが台頭。そんな状況下で、アクロバティックさとしなやかなさを兼ね備える少年隊が爆発的な人気を得て、事務所の勢いは増した。

 2019年9月4日放送の『TOKIOカケル SP』(フジテレビ系)では、TOKIOの国分太一がジャニー氏に「最強のグループは?」と質問した際、「少年隊」と即答されたという秘話を明かした。5枚目のシングル『stripe blue』でバックダンサーを務め、ミュージカル『PLAYZONE ’87 TIME-19』にも出演した元CHA-CHAの木野正人が述懐する。

「ジャニーさんはどんどんアイディアが浮かんでくるので、公演直前に演出や振付を変えることもよくありました。でも、何を要求しても、少年隊は必ず応えていた。だから、信頼感があったのでしょうし、プロデューサーとしてすごく面白かったのだと思います」

 東山紀之は自著で〈ジャニーさんほど芸に厳しい人もいない。実は、僕はジャニーさんにほめられた記憶がほとんどなく、叱られ通しで今日に至ったという感がある〉(『カワサキ・キッド』朝日新聞出版、2010年6月発行)と振り返っているが、それも期待の裏返しだったのだろう。

 その証拠に、少年隊には何人もの一流の振付師が付いた。山田卓、西条満、名倉加代子、三浦亨、ボビー吉野など日本を代表する面々に加え、舞台『PLAYZONE』では1986年にマイケル・ピータース、1999年、2000年にトラヴィス・ペイン、2006年にヴィンセント・パターソンと、マイケル・ジャクソンの作品を手掛けた逸材とコラボレーションした。

「先生によって振付のテイストは違うので、普通は担当が変わると、対応に時間が掛かります。得意なダンスはすぐ覚えられても、苦手なダンスは思うようにはできない。でも、少年隊はどんな種類のダンスでも、すぐに習得してしまう。ボビーさんが1、2回お手本を見せただけで振付を覚えていました。半端ない早さなんです」(木野)

 少年隊なら要求に応えられるという確信があったからこそ、ジャニー氏はマイケルの振付師を招聘したのだろう。そんな“歴代最強グループ”も、2006年7月の『想 SOH』を最後に新曲発売はなく、2008年に舞台『PLAYZONE』が終了して以降、ほとんど活動していない。『PLAYZONE』最終年、少年隊の今後を3人はこう述べていた。

〈死ぬまでやります〉(東山)
〈やめてくれって言われなければ〉(錦織)
〈少年隊というものを一番大事にして、また新しい形に作り上げていきたい〉(植草)(以上、2008年7月7日・日刊スポーツ)

 今から4年前、錦織は将来を想像して、こう話していた。

〈腰の曲がった3人がなんとなくステップを踏んでいたらかっこいい。『おじいちゃんたちが踊るの!?』って子供たちをびっくりさせたい〉(2016年9月3日・サンケイスポーツ)

 今も、グループは存続している。新型コロナウイルスの影響でライブなどは難しそうだが、デビュー35周年の今年、何らかの発信を3人で行なってくれることを願いたい。

■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では、ジャニー喜多川氏の秘話も随所に掲載。4月30日19時から元CHA-CHA木野正人とネット配信トークイベント『1980年代 ジャニーズ名曲ヒストリー ~少年隊・東山紀之から貰ったシャケ・イクラ弁当~』を開催。詳細は下北沢本屋B&Bのホームページにて。