2021年3月23日
女性自身
「’08年にV6の人気番組であった『学校へ行こう!』(TBS系)が終了すると、同時期に嵐や関ジャニ∞といった後輩グループが次々に台頭してきていました。いっぽうV6はデビューから13年が経過し、最年少の岡田さんも30歳が目前に迫ってきていました。『自分たちはこのままでいいのか?』、そんな悩みをメンバーたちが感じ始めていたのです」
こう語るのは、かつてV6メンバーと数年間にわたり仕事をしていた男性・Aさん。3月12日に森田剛(42)が11月1日をもってジャニーズ事務所を退所し、グループの解散も発表したV6。26年間、誰も脱退することなく活動を続け“ジャニーズの優等生”とも呼ばれる彼らだが、実は約10年前にも“解散の危機”を迎えていた。
「具体的に解散の危機が表面化したのは’10年ごろ、V6のデビュー15周年の前でした。『15周年を花道にしては』と、解散を主張するメンバーが2人、存続を主張するメンバーが4人で、真っ向からぶつかりました」(前出・仕事関係者Aさん)
解散派は岡田准一(40)と井ノ原快彦(44)だったという。
「岡田さんは『SP 警視庁警備部警護課第四係』(フジテレビ系)で、俳優として手ごたえを感じていました。また井ノ原さんも、『あさイチ』(NHK)のキャスター就任が決まるなど、マルチタレントとしても開花していました」(前出・仕事関係者Aさん)
いま振り返ると意外にも思えるが、森田は“存続派”だったという。
「デビュー前から特に仲がよかった三宅さんも存続を願っていたこともあったのでしょうが、『V6としてまだ燃焼しきっていない』というのが彼の主張でした。
両派は激論を続けましたが、森田さんが頑張ったこと、さらにジャニー喜多川社長(当時)の説得もあり、解散の危機を脱したのです」(前出・仕事関係者Aさん)
■宮沢りえとの結婚も森田のモチベーションに
その全力の解散阻止から11年、26周年での解散のきっかけになったのが森田の発言だったということにAさんは感慨を覚えたという。
「’14年には紅白歌合戦への初出場も果たしましたし、森田さんも“やりきった”と感じることができるようになったのでしょう。
若いころから事務所内でも“天才肌”と呼ばれてきた森田さんですが、初めての単独主演映画となった『ヒメアノ~ル』(’16年)のサイコキラー役は圧巻でした。彼は性風俗などをテーマにした過激な作品で知られる劇作家の三浦大輔さんにも傾倒していると聞いています。
今後はそういった作品にもチャレンジしていきたいのでしょう。もちろん宮沢りえさん(47)との結婚生活もモチベーションになっていると思いますよ」
’19年春ごろから始まった6人の話し合いは、1年足らずで同意にいたったという。
’20年末にV6と仕事現場をともにした音楽関係者はこう語る。
「井ノ原さんが三宅さんとまるできょうだいのようにじゃれ合っていたり、カメラが趣味だという岡田さんがメンバーたちの写真を撮影していたり……。すごく和気あいあいとしていたので、今回の解散発表は信じられませんでした」
26年間、本音でぶつかり合ってきたからこそ、音楽関係者が目撃したような空気感にたどり着くことができたのだろうか。11月1日以降、それぞれ新しいステージに立つ6人も応援していきたい――。
「女性自身」2021年4月6日号 掲載