「YOUたち売れないよ」Snow Manが苦節11年でブレイクした訳

2021年3月3日

女性自身

「彼らは“できません”を絶対言わないことをグループとしてのポリシーにしています。番組サイドから曖昧な指示が出ても即座に対応できるスキルを全員が持っていて、歌も踊りもトークもうまい。人を魅了する力はピカイチです」

あるテレビ局関係者が手放しで絶賛するグループはSnow Man。昨年1月のデビューから1年2カ月。CDは2作連続でミリオンヒットを達成し、昨年12月に公開された出演映画『滝沢歌舞伎 ZERO 2020 The Movie』の興行収入は20億円を突破した。

4月からは、日曜昼に地上波初の冠番組である『それSnow Manにやらせて下さい』(TBS系)もスタートするなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。舞台裏でもその評判は高い。

「スタッフに対しても常に丁寧で、カメラが回っていないところでも気さくに話しかけてくるなど、サービス精神も旺盛です。一度取材するとみんなファンになってしまうんです」(アイドル誌ライター)

すでに名実ともにトップアイドルの風格を漂わせているSnow Manだが、そこに至るまでには長い道のりがあった――。

’09年に前身ユニットである「Mis Snow Man」が結成され、’12年5月に深澤辰哉(28)渡辺翔太(28)、佐久間大介(28)、阿部亮平(27)、岩本照(27)、宮舘涼太(27)の6人でSnow Manとして正式にスタートする。

「タッキー&翼やKis-My-Ft2といった先輩グループのバックダンサーを務め、先輩から指名されることも。また『滝沢歌舞伎』の常連にもなり、Jr.内で“職人集団”と呼ばれるまでのグループに」(前出・ライター)

■「“やめよう”は何回も頭によぎりました」

Jr.内での評価が高まるいっぽうで、デビューの話は一向に聞こえてこず、悶々とした日々が続く。

「Jr.時代、ジャニー喜多川さん(享年87)が『YOUたちはこのままじゃ売れないよ』と冗談まじりに言ったこともあるそうです」(音楽関係者)

デビューできないまま時が過ぎ、メンバーは20代に突入。将来に不安を抱くことも少なくなかったようだ。

「深澤くんは昨年のバラエティ番組で『“やめよう”は何回も頭によぎりましたね』と語るなど、ほとんどのメンバーが一度は退所を考えたそうです」(前出・ライター)

メンバーそれぞれが“脱退危機”を迎えるなか、精神的支柱として支え続けた“先輩”が。

’18年に芸能活動から引退したジャニーズ事務所の滝沢秀明副社長(38)だ。

「前身ユニットの名付け親はジャニーさんですが、『Snow Man』と名付けたのは滝沢さん。Jr.時代からプライベートでもよくメンバーとご飯に行く仲で、人生相談にも乗っていたそうです」(前出・ライター)

しかし、時には滝沢副社長からの愛のムチも。本誌’14年3月18日号にSnow Manとともに登場したタッキーは、こう“叱声”を飛ばしていた。

《たとえばA.B.C-Zの場合は、僕が怒れば悔しがって頑張ってた。そこが必要だと思うんです。今のSnow Manにはそれがまだない。まだ時間がかかるのかな。今まで3年かかったから、あと3年。計6年くらいかかるのかも(笑)》

“恩人”からの“悔しがれ!”という叱咤激励も糧に、踏みとどまることを選んだ6人。風向きも少しずつ変わっていく。

’13年から事務所のプロデュース公演『ジャニーズ銀座』に出演し、当日券に1千人以上のファンが行列をつくることも。’15年には名だたる先輩らが受け継いできた舞台『少年たち』の主演に選出。

’18年には後輩であるKing&Princeが先にデビューするも、6人は前だけを向いていた。

「阿部くんは’15年に超難関の気象予報士試験に合格するなどインテリキャラを築き、今ではクイズ番組に引っ張りだこ。岩本くんも体を鍛えフィットネス誌に連載を持つなど、この時期にそれぞれのメンバーが独自の個性を磨いていました」(前出・ライター)

■「このグループだけはどうしても守りたかった」

’19年1月に転機が訪れる。向井康二(26)、目黒蓮(24)、ラウール(17)の3人が加入し、現在の9人体制に。

一部のファンから「6人で頑張っていたのに……」といった批判もあったというが、深澤は’19年3月放送の『RIDE ON TIME~時が奏でるリアルストーリー~』(フジテレビ系)でこう語っている。

「いままでのグルーブが全部なくなってしまったから、このグループだけはどうしても守りたかったので。そこに、こうね3人プラスして、新しいSnow Manで。どうにか頭ひとつ抜けさせるにはこの方法しかないと思ってた」

9人の結束も固いようだ。

「目黒くんは別のユニット、向井くんは関西Jr.で、それぞれ長い下積み時代があるので、6人と苦労を共有し、強い信頼関係があります。ラウールくんは持ち前の人懐っこさでみんなからかわいがられているそうです」(音楽関係者)

そして、前身ユニット時代から11年を経て、’20年1月についにデビューを果たす。このとき、深澤は27歳で、ジャニーズ史上最年長のデビュー記録となった。

やっとの思いでつかんだデビューだが、またしても困難が彼らを待ち受けていた。

「昨年3月に岩本さんが一部週刊誌でスキャンダルを報じられ、7月まで活動を自粛。出演予定だった年末の紅白歌合戦も直前に宮舘さんが新型コロナウイルスに感染し、泣く泣く辞退することになりました」(スポーツ紙記者)

それでも、苦節11年で培った“凹まない力”で逆風にも果敢に立ち向かっていく。

「困難があるたびに、メンバーの絆は強くなっているそうです。9人で“常に初心を忘れないでいよう”と誓い合って、どんな仕事でも前向きに取り組んでいるといいます」(前出・テレビ局関係者)

この先、どんな壁が立ちふさがっても凹まぬ9人は“凸破”し、乗り越えていくことだろう――。

「女性自身」2021年3月16日号 掲載