小池百合子都知事が緊急事態宣言前に放った“悪手”…東京都の感染者が減らない本当の理由

2021年1月10日

文春オンライン

小池百合子都知事 ©文藝春秋

 1月7日夜、菅義偉首相が2度目となる緊急事態宣言を発出した。

 新規感染者の急拡大を前に「もうこれしかない」

 改めて「調整なし」の一手で仕掛け、

「東京都」と「全国」で第3波の感染者数の推移を見ると、波形は概ね一致する。東京都で初めて500人を超えたのは11月19日、600人超えは12月10日、1000人超えが大晦日である。対する全国では、初めて2000人を超えたのは11月18日のこと。12月12日に3000人を超え、大晦日に4000人を超えた。

 一方、東京都と対照的なのは、12月上旬から減少に転じた北海道と大阪府だ。11月20日に最多の304人を記録した北海道の1月2日の感染者数は77人、11月22日に490人の過去最多を記録した大阪府も下がり切ってはいないとはいえ、258人だった。

「増えた」東京都と、「減った」北海道・大阪府の違い

 増える東京都と減った北海道、大阪府の違いについて政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会のメンバーである専門家に訊ねると、ちょうどその1週間から2週間前、クリスマスパーティーや忘年会について、住民が「取りやめる行動(行動変容)」を取ったか否かが寄与している、と分析した。

 北海道や大阪府では多くの住民に「取りやめる行動」が見られ、東京都では見られなかった–と。

 あたりまえだが、自粛しなかった人々を責める話ではない。たまには仲間と外で食事をしたい、クリスマスや忘年会ぐらいは楽しくやろう、と思うのは人情だし、まじめに感染対策に勤しんでも瀬戸際まで追い詰められた店主の立場なら、給与が減らない役人から言われたぐらいで応じてたまるかと憤るのがふつうの感覚だ。

 だからこそ国民に語りかけて説得し、「受け入れ難いけれど、そこまでいうなら協力するか」と思ってもらうことができるか–政治家が国民の行動を変える、心に響くメッセージを放つことができたのかという文脈で語られるべき事柄なのだ。

東京が「失敗」した2つの理由

 なぜ東京では、人々の説得に失敗したのか–。私は2つの理由があると思う。

 第1の理由は「行政はできる環境整備をやっていない」という点だ。

 北海道の鈴木直道知事は11月26日、営業時間の短縮だけでなく、札幌市内の接待を伴う飲食店に2週間の休業を要請し(後にさらに2週間延長して12月25日まで)、大阪府の吉村洋文知事も飲食店などに11月27日から夜9時までの時短の徹底を求めた(継続中)。病床の逼迫を示す地元の惨状が連日報じられるのと相まって、これが一定の効果を発揮した(今月に入って再び感染者が反転、急増した大阪府は8日、京都府、兵庫県とともに国に緊急事態宣言の要請を決めた)。

 一方、小池都知事はどうか。酒を出す飲食店の営業時間を夜10時までとするにとどまっていた都の時短要請について、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会から夜8時までの深掘りを求められてきたが、小池氏は「現実は厳しい」と前向きではなかった。

 しかし、今回の「要請」に出るまでは、どれだけ打開の努力を払ったというのか。協力を渋る飲食店を翻意させるのに、これまでより充実した協力金が必要だというのは一理ある。だが国内の自治体で最も豊かな財源を抱える自治体は東京都だ。

 都の貯金(財政調整基金)が底をつきかけたと報じられているが、コロナの影響で行われなかった公共工事の資金などで剰余が生まれ、年度末には1700億円まで回復する見通しだ。

 百歩譲って、それでも足りないなら、「まだ使っていない予備費からこっちに回せ」という直談判は、緊急事態宣言を持ち出さずとも、もっと早くからできたはずだ。

 汗をかかず、動かなかった小池氏がいきなり、都内全域の飲食店全てに、8時まで時短要請する方針に転じた。そもそも不人気の政策を自らの主導ではやりたくない、追い込まれて判断するぐらいなら、攻めの構図にすり替える–そんな小池氏らしいやり口が透けて見える。

 第2に、「メッセージが見えなかった」ことだ。危機の重大局面でも小池氏は、政府と協調するどころか、政治的な駆け引きに持ち込んだ。その姿は、足並みの乱れとして報じられ、国民へのメッセージはあいまいになり、時には非科学的な内容でも平然と打ち出した。

 その例がGoToトラベルキャンペーンをめぐる小池氏の仕掛けだ。

なぜGoTo全国一斉一時停止に時間を要したのか

 菅首相がGoToトラベルキャンペーンの全国一斉一時停止を決めたのは12月14日のこと。分科会が、感染拡大地域について「一部地域の除外」を最初に求めた11月20日から、約1か月も経過していた。

 なぜ時間を要したのか――決定から間もない昨年12月下旬、私は政府に助言している分科会の尾身茂会長へのインタビューの機会を得た。その詳細は1月9日発売の「文藝春秋」2月号に寄稿したが、時間を要した理由について尾身氏は2つの点を挙げた。

 1つは、菅首相の経済の打撃に対する強い思いが込められた政策を止める判断を深く考え抜くのに時間を要したこと。もう1つは、大規模流行の中心地である東京都は真っ先に「除外」の対象となるべきなのに、国と都が「両すくみ」に陥って議論が進まなかったことだった。

 分科会の提言を受け菅首相が「まずは知事に判断していただく」と述べると、大阪府や北海道は即座に停止に応じた。これに対して東京都の小池知事は「国が判断すべき」と繰り返し、政府に決めさせる構図にこだわった。

 小池知事と菅首相のトップ会談となったのは12月1日。当日の決定を、尾身氏はこう振り返った。

「2人の会談の直後に『65歳以上の高齢者と基礎疾患のある人に利用自粛を呼びかける』という合意がなされたと聞いた時は、『え?』と言葉を失いました。私たちの具申をわかってくれていなかったのか、と強い違和感があったのです」

 分科会で明らかにされた解析によれば、国内2万5000もの感染例のうち、旅行を含めた移動歴のある人が2次感染を起こす頻度は25.2%、これに対して移動歴のない人は21.8%で、移動歴のある人の方が4ポイント近くも高く、また、移動に伴って感染を広げているのは、90%が10代から50代の人、つまり若い人の移動が感染を拡大する要因になっている。

 つまり、さして移動もせず2次感染を起こしてもいない高齢者を止めるのは、原因と結果を取り違えた選択だったというのだ。

菅首相も小池知事もメッセージが見えてこない

 では、なぜ、専門家が首を傾げるような非科学的な案に落ち着いたのか。合意翌日の新聞は「都が高齢者や基礎疾患のある人の『一時停止』か『自粛』を提案し、国が一時停止案を退けた」という趣旨の裏事情を書いた。

 少し想像すればわかることだが、申請を受けた旅行代理店が、旅行者に持病があるかどうかをチェックするのは簡単ではない。その二択を差し出したのだとすれば、政府にとって「自粛」一択になることを見越した“仕掛け”だったとしか考えられない。

 官邸側も甘い見通しに基づいていた。「第2波ではGoToを運用しながらでも感染者を減らすことができた、という“成功体験”の再現を期待しているようだった」と証言する分科会の専門家もいる。

 都を含めたGoTo一時停止の判断に至るのに、さらに2週間を要した。トンチンカンな選択で時間を浪費した責任について、菅首相も小池氏もその後、一言も触れていない。しわ寄せを食ったのは、まじめに感染対策に協力してきた多くの国民だった。

 これまでに亡くなった国内のコロナ感染者は3572人(1月2日現在)。小池・菅合意が行われた12月1日までの1週間の平均では1日あたりの死亡は25人。ところが、1か月経った現在、そのペースは48人と2倍の速さになっている。

 繰り返すが、「緊急事態宣言」を出せば感染が抑制される、というほどことは単純ではない。できるだけ多くの国民が痛みを伴う行動を受け入れるかどうか。そのためのメッセージを、政府トップの菅首相と現場トップの小池知事が連携して打ち出すことができるのかどうか。メッセージを無に帰するような政局劇を再現した時、「受け入れ難いけれど協力する」と納得する国民が増えるはずはない。

 自らの「失点隠し」のためなら国民の健康や生活でさえ演出の「舞台装置」に平然と利用する。そんなやり方に、騙されてはいけない。

 ジャーナリスト・広野真嗣さんによる新型コロナ分科会の尾身茂会長インタビュー全文は、「文藝春秋」2月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。

(広野 真嗣/文藝春秋 2021年2月号)