2021年1月1日
週刊女性PRIME
『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の放送が中断され突如、美しい映像とピー音が流れるというハプニングが起きたのは2020年の10月。今ではすっかり珍しくなった放送事故に、SNS上では過去のハプニングが掘り起こされ話題に。そこで、昭和、平成のテレビをにぎわせた伝説の放送事故を振り返る!
すごかった! 放送事故列伝
12月2日放送の『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)で司会の相葉雅紀が“やらかした”と話題になっている。
「KAT-TUNの中丸のことを“なかまら君”と呼び、周囲のジャニーズがそのド下ネタにざわつきました。翌週にはネットニュースにもなって生放送の怖さを感じましたね」(番組関係者)
こんな言い間違いは放送事故のうちには入らない?
昭和・平成のテレビでの放送事故はすごかった。ほんの一部をテレビウォッチャーとともにプレーバック。
「バラエティー史上もっとも有名な放送事故といわれているのが『8時だョ! 全員集合』(TBS系)での停電事件。番組開始の夜8時から9分間画面は真っ暗。復旧した8時9分に、いかりや長介が“8時9分だョ! 全員集合”とアドリブをきかせ、会場やお茶の間を沸かせました」(テレビウォッチャー)
かつて平日お昼の人気番組『笑っていいとも!』(’82年~’14年/フジテレビ系)も数々の“伝説”を残している。
「著名人がリレー方式に登場する人気コーナー『テレフォンショッキング』で観客の一般男性が突如ステージ上に乱入し、ゲスト席に座ったんです。タモリさんは冷静に「しゃべりたいことがあるの?」と聞き、男はスタッフに連れられていきました(’83年)。
また、タレントの泰葉が間違って電話をかけたことから、3日連続素人の“友達の輪”が続いたこともありました(’84年)。番組終了がウワサされていた’05年には客席の男が“いいとも終わるんですか?”と質問。CMが入り、男の席にはクマのぬいぐるみが置かれていたことも伝説となっています」(同)
いかりや長介やタモリのような大物司会者だからこそ、対応できたのだろう。
本当の事故もあった……
放送事故ではなく、本当の事故がオンエアされてしまうケースも。
「’98年9月放送の『めざましテレビ』(フジテレビ系)で当時若手だった菊間千乃アナウンサーが避難器具の体験レポートをしていたところ、マンション5階から落下。菊間アナは腰椎、胸椎、肋骨などを骨折する全治3か月の重傷を負いました。
’08年にはテレビ宮崎の『JAGAJAGA天国』での生放送中に水田に頭から飛び込んだ柳田哲志アナウンサーが、頸椎骨折・損傷の重傷を負いました。一時は全身麻痺の状態に陥る大事故に」(ワイドショー関係者)
事故の現場を視聴者が目撃するという、ショッキングな放送に泣き出した視聴者もいたという。
現在、菊間アナは弁護士として柳田アナはアナウンス部副部長として活躍している。
年末の目玉番組といえば、NHKの『紅白歌合戦』。失敗が許されないだけに何度もリハーサルが行われるがそれを突破した猛者たちも。
「吉川晃司は予定時間をオーバーして歌い、極めつきにギターを燃やすというパフォーマンスを行って、後続の河合奈保子が恐怖で歌い出しのタイミングを失うということがありました(’85年)。ほかにも長渕剛の3曲ジャック(’90年)、本木雅弘のコンドーム衣装(’92年)、DJ OZMAの裸ボディスーツ(’06年)など、けっこう事故を起こしているんですよ」(テレビウォッチャー)
今年の紅白は嵐のラストイヤーだけに嵐が巻き起こる!?
お昼のNHKを凍らせたのは女優の桃井かおり。
「『スタジオパークからこんにちは』というほのぼのした番組に出演した桃井はのっけから好戦的でした。アナウンサーの受け答えが気に入らないのか《そんなわけないじゃない、本当に困っちゃいますね、NHKの方は》とコメント。見かねたアナウンサーが、なぜこの番組に出演を? と尋ねると《だんだん仕事が安定しちゃうんですよ。だから面白くない順に仕事を受けてみようという気持ち》と答えてアナウンサー2人を翻弄していました」(同)
生放送ならではの放送事故
大物の言動には周囲もヒヤヒヤ。同じく『スタジオパーク』からは山田五十鈴先生も。
「五十鈴先生がミザリーちゃんという犬のぬいぐるみを持ってきて、着せ替えの服を楽しそうに紹介して周囲が困惑したことも(笑)」(同)
かつて乱立していた歌番組『歌のトップテン』(日本テレビ系)、『ザ・ベストテン』(TBS系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)は生放送だけにハプニングの連続。
「歌詞を忘れてしまうなんていうのは日常茶飯事。『ベストテン』からは南野陽子さんが『秋からも、そばにいて』を歌唱中に立ち往生してしまったり、アイドルの素の部分が見られるのも魅力でした。アルフィーがファンの家を訪ねて歌うという企画は、そのファンが不在で留守宅の前で歌うという珍事件も。
『夜ヒット』では、忌野清志郎さん率いるザ・タイマーズが予定していた楽曲とは違う『FM東京』を罵倒する楽曲にすり替えて披露。司会の古舘伊知郎を震え上がらせました」(同)
今では考えられない、カメラの前で殺人が起きたことも。
「’85年当時、詐欺事件で社会的非難を浴びていた豊田商事の会長・永野一男が自宅で刺殺されました。逮捕直前ということもあって、マスコミが押しかけていたのですが、その輪をかいくぐって2人組の男が窓を割って侵入。血だらけでカメラの前に戻ってきたのです。永野は刺殺されていて、この様子はワイドショーで生中継されていたんです。その後、血だらけで担架で運ばれる豊田商事会長の姿まで映し出されて、前代未聞の殺人生中継でした」(同)
殺人の瞬間は豊田商事だけではない。
「’95年に起きた地下鉄サリン事件の首謀組織・オウム真理教の幹部・村井秀夫もカメラの前で刺殺されました。村井をマスコミが取り囲む中での出来事で現場にいた記者も何が起きたかわからなかったといいます」(同)
昭和、平成とお茶の間をにぎわせてきたテレビだが、視聴者離れが進んでいる。令和の時代に歴史に残る“放送事故”は生まれるのだろうか。