2020年8月16日
婦人公論.jp

ジャニーズ事務所は12日、突発性パニック障害で休養していたSexy Zoneの松島聡さんが復帰すると発表した。芸能界でパニック障害になった人は多く、アン・ルイスさん、長嶋一茂さん、IKKOさんなど、枚挙にいとまがない。大きなストレスにさらされる芸能人だけでなく、自身や身近な人が「ある日突然」発症することもありうる病だというが──(取材・文=古川美穂)
発作の症状は、全部で14種類
激しい動悸、めまい、ふらつき、震え、発汗、息苦しさ、吐き気……こうした症状が複合的に襲ってくるのが、パニック障害の発作。症状は人によりさまざまだが、突然の強烈な不安と恐怖感が主な特徴だ。
実は、筆者も5年以上、パニック障害を患っている。最初の発作でパニック障害だと気付くことは難しく、呼吸器や心臓の病気だと思い病院に駆け込む人も多い。だが、検査を受けても体には異常がみつからない。いつ起こるかわからない発作に対する「予期不安」の恐怖を抱え、日常生活に支障をきたしていく──これが、パニック障害患者の典型的な例だ。
「発作の症状は、全部で14種類と言われています。そのうち3種までは『パニック不全発作』、4種以上表れると『パニック発作』といい、症状が多いほど治りにくいのです。乗り物や映画館など特定の閉ざされた空間にいるときに不安を覚える『広場恐怖』を併発することも多く、うつ病に至る深刻なケースもあります」と言うのは、パニック障害治療の第一人者、赤坂クリニックの貝谷久宣理事長だ。
日本のパニック障害の患者数は人口の3~4%と、ポピュラーな病気だ。しかし、その実態は意外と知られていない。
「パニック障害とは、神経質などのもともとの気質に環境要因、ストレスなどが重なり、情動中枢である扁桃体が誤作動を起こして過活動になる病気です。脳の過敏反応がさらに過敏反応を呼んで、発作が頻発する。発作や予期不安は非常に根深く、一度発作を起こした場所には行くのも困難になり、行動範囲も狭まっていきます。
今は治療法が進んだので、重症の人でも1年前後で社会生活ができるようになります。ただし、慢性疾患なので、薬を使いながら無理をせず、気長に付き合っていくのがよいでしょう」
発作で直接死に至ることはないが、重い症状が続くと、逃げ道として死を考えるほど追い詰められることもあるという。
「そんなの、気の持ちようじゃん」と言われ
漫画家の櫻日和鮎実(さくらかわ・あゆみ)さんは、自らの体験をコミックエッセイ『パニくる!?』にして発表した。
初めて発作が起きたのは、2015年の冬。同人漫画サークルが集うイベント、コミックマーケット(コミケ)に参加したときだ。突然、激しい動悸と息苦しさに襲われた。その後も小さな不調を重ね、あるとき電車の中で強烈な発作を起こし、死の恐怖を感じて駅に着いたとたんホームへ飛び出す。ネットで検索し、これが「パニック発作」だと知った。
「もともと私は楽天的な性格で、自分が神経の病にかかるとは考えてもみませんでした。でも、その日から急速に悪化し、昨日できたことが今日はできなくなり……ショックでした。歩いて5分の最寄り駅にさえたどり着けなくなってしまって」と櫻日和さん。
1日2時間しか眠れない日が続いた。病院に行ったが、処方された薬の効果がだんだん感じられなくなり、1日の用量を超えて飲んでしまうようになった。
結局、友達とルームシェアしていた東京の住まいを引き払い、長野の実家で漫画を描きながら療養することに。だが不眠と発作は続いた。

『パニくる!? パニック障害、「焦らない!」が効くクスリ。 』(櫻日和鮎実:著/KADOKAWA)
「少し寝ると、発作ですぐ目が覚めてしまうんです。あくびをすると体が攣って過呼吸が起きる。でも傍目にはただ寝ているようにしか見えないので、家族にもつらさを理解してもらえませんでした。妹から『そんなの、気の持ちようじゃん。友達もなったことあるけど1週間で治ったよ』と言われたときはきつかった……。家族全員からそういう目で見られると、居場所がなくなってしまうのです」
幸い、実家の近くで信頼できる医師に巡り合うことができ、ようやく病と向き合える態勢がととのった。「この体験を漫画に描こう」と決意し、症状を客観的に見つめて記録を取り続けたことも治療に役だったのか、ゆっくりと快復への道を歩んでいる。
「誰でも突然なる可能性があり、しかも症状が急速に進みます。万一なってしまったら、世界を敵に回してもとにかく休んで! と声を大にして言いたいです」と櫻日和さん。快復には「焦らないこと、周りは焦らせないこと」が何より肝心だという。
恐怖とあえて向き合う「森田療法」
現在、パニック障害の治療は、薬物療法と、行動や考え方のゆがみを直す「認知行動療法」が主流だが、一方で薬を極力使わないアプローチもある。
その代表が「森田療法」だ。大正時代に医師の森田正馬が神経症治療の目的で生み出し、海外にも普及している。不安を消すのではなく、「あるがまま」に受け入れる療法だ。本来は3ヵ月の入院治療が必要だが、今は外来での治療が主となっている。
2016年に入院治療を経験した山口愛さん(42歳・仮名)に話を聞いた。好奇心旺盛で行動的だった山口さんは、21歳まで病気とは無縁だった。
「夢だったウェブ系の会社に転職。忙しくも充実した毎日を送っていました。異変が起きたのは入社数ヵ月後、飲み会の席でした。激しいめまいと動悸、息苦しさで倒れてしまったのです」
その数日後。友人に誘われ、体調不良を押してライブハウスに行く途中のバスの中で、大きな発作が起きた。「死ぬのではないかという強い恐怖心に襲われて。バスを降りたところにあった交番にふらふらと入り、『死んでしまうから救急車を呼んで!』と頼み、病院に担ぎ込まれたのです」
だが異常は見つからず、心療内科に回されパニック障害だと告げられた。
「安定剤を飲むことを受け入れられず、『体の病気だ!』と抵抗しました。薬と行動療法で良くなるからと諭され、自宅で静養したのですが、1週間過ぎても体調は変わらず。大変なことが自分の身に起きていると思いました」
幸い、治療の効果と周囲の理解にもあり、症状は少しずつ落ち着いていった。24歳で会社の先輩と結婚。二人で退社し、ネット関係の会社を立ち上げる。事業は順調、二人の子宝にも恵まれ、傍目には順風満帆の人生に見えたことだろう。
だが内情は違っていた。仕事が忙しくなると昼夜逆転の生活が続き、発作がぶり返していたのだ。そのうえ、妊娠中の突発性難聴なども重なり、さらに症状は悪化。次第に夫婦関係にも亀裂が入り始める。夫の暴力や暴言も強いストレスとなって、山口さんに追い打ちをかけた。
「そんな中で、父親が勧めてくれたのが森田療法でした。『子どもたちは私たちで面倒を見るから、安心して入院しておいで』とまで言ってくれた。入院中は家族への連絡も面会もできない。子どもたちには酷だと思いました。でも、苦しむ姿を見せ続けるほうがずっと酷だからと、覚悟を決めたのです」
入院して最初の1週間はひたすら横になり何もせずに過ごして、不安と真正面から向き合う。その後は段階的に日常生活の作業などに取り組み、社会復帰に備えてゆく。
「不安は自然な感情であり、排除しようとすればするほどとらわれる性質がある。逆に、『あえて不安なことばかり考えてみなさい』と言われて実行してみましたが、不安なことだけを何時間も考え続けるなんて不可能なんだ、と身をもって悟りました」
退院後、夫の不倫発覚と離婚、父親の死という大きな試練に次々見舞われながらも、発作は再発していない。山口さんの手帳には、〈自から進んで発作を起こし、全過程を熱心に観察すべし〉という森田正馬の言葉を書いたメモが、いまも大切に挟みこまれている。
不安は、生きたいと願う欲求の裏返し
森田療法では、自助グループがいくつかある。中でも50年という長い歴史を持つのが、NPO法人「生活の発見会」だ。現在の会員数は約2200人。全国で「集談会」と呼ばれる集まりが行われている。
理事長の岡本清秋さん(71歳)も、パニック障害に苦しんできた一人だ。
「30歳前に、目の前で会社の仲間が脳梗塞で突然死したことがきっかけでした。体調を崩すとその場面が浮かぶようになり、ついに発作を起こして倒れてしまった。しかし病院で検査しても原因がわからない。悩んでいたところ、書店で森田療法の本に出会って、パニック障害だとわかったのです」
もともと、神経症の人たちは「生」のエネルギーが強いと言われている。不安はいわば「生きたい」と願う欲求の裏返しなのだ。
「今でも発作に対する不安は完全には消えません。ただ森田療法を学習することによって、薬に頼らずとも症状が軽くなり、健康で前向きな生活が送れるようになった。人生の『耐力』がついたのですね」と岡本さんは笑う。
同じく「生活の発見会」で活動する野田芳子さん(56歳・仮名)も、最初の発作は若いころに起きた。
22歳のとき、朝の通勤電車内で突然お腹が痛くなる。停車駅間が長く、身動きさえもできない車内で味わった恐怖は、深く脳に刻まれた。以来、乗り物やトイレのない場所にいると不安に襲われ、腹痛を起こすように。
「美容院や歯科医院にも行けなくなりました。束縛される時間がすごく恐怖で……。過敏性腸症候群の診断を受けて薬をもらったこともありますが、全然効かなかったんです。その後、パニック障害だと判明しました」
10年前に森田療法と出会う前は、治りたいとひたすら願ってきた。だが、考え方を変えることで、発作との付き合い方がわかった、と野田さんは言う。
「私には、人に頼らず自分で完璧にやろうとする傾向がありました。同居していた義父母の介護や子育て、仕事、すべてを一人で抱え込む。でも今は、完治しなくても、不安を抱えつつ、やるべきことさえやれればいい、妥協していい、と思えるようになりました」
それと同時に、日常の小さな幸福にも気付けるようになったという。野田さんの場合は、夫の理解が大きな支えになった。外出前には夫が「トイレに行った?」と確認するのが、今では二人のおきまりの儀式だ。
自力で編み出した“療法”で快方に向かって
カウンセリングと独自の工夫で快方に向かったと話すのは、商品ジャーナリストの北村森さん(52歳)だ。パニック発作を起こしたのは、雑誌編集長を務めていた40歳のとき。出張のため飛行機に乗ろうと、機内に足を踏み入れた瞬間だった。
「突然汗がばーっと出てきて、『閉じ込められる! 2時間も機内にいるのは無理だ!』と。なんとか平静を装って搭乗をやめました。そこからは一気に悪化して。1~2ヵ月の間で、新幹線、地下鉄、会議室……ダメな場所が増えていき、最後には、家でトイレのドアを閉めるのさえ怖くなった」
悩んだ末に北村さんが取った行動は、実に大胆なものだった。会社を辞め、当時6歳だった保育園児の息子と全国列車の旅に出ることにしたのだ。「1年間、自由にさせてほしい」と妻に頭を下げ、100万円を融通してもらって始めたこの冒険は、『途中下車』という本になり、ドラマ化もされて、話題を呼んだ。
「カウンセラーから、『パニック障害って、治るというより、忘れるという感覚に近いですよ』と言われて、すごく楽になったのです。それで、『夜行の北斗星とカシオペアに乗りたいんだけど、乗れますかね』と聞いたら、『乗りたきゃ、乗ればいい。わがままでいいんです』と。ああ、俺は乗りたい、と思ったのですね」
受動的に追い立てられるのではなく、自ら選び取った行動ならば不安が生じにくいということを、北村さんは経験から学んでいった。
どういった条件が揃うと発作が起きるのか。それは本人にすら説明がつかないのだと、北村さんは言う。
「飛行機でハワイに行けるまでになったのに、新幹線はのぞみは苦手でこだまに乗ります。ライブ会場では通路側だと平気なのに、真ん中の席だと考えるだけでもぞっとする。パニック障害になった人の数だけ、原因や背景、発症の仕方があると僕は思うのです。経験者だからといって、決して一概に語れるものではない」
生命の危険がない場所で、死の恐怖を感じる。それは確かに脳の誤作動だろう。だが見方を変えると、「少しスピードを落とそう」「ちょっと無理しすぎでは」「思いつめないほうがいいよ」などという、体と心からのシグナルではないかとも感じるのだ。