キムタクは父になる前からかっこよかった……「Cocomi、Kōki,に教えたい」出演ドラマ“3つの神回”

2020年5月7日

文春オンライン

 木村拓哉は父としてもかっこよかった……。

 次女Kōki,に続き、長女Cocomiのデビューも発表された木村拓哉。

 最近では、工藤静香の誕生日におこなわれた姉妹のインスタライブで「お父さんのどこが好き?」と聞かれたCocomiが「全部」と答え、木村拓哉のWeibo(中国でのSNS)では夫妻2人の写真がアップされるなど、「木村拓哉も父だった」ことが、再確認できるようになってきた。

 ときに2000年の冬、稀代のスターであり、今のように多くの既婚者がいたわけではないジャニーズアイドルの歴史から見ても、大きな衝撃があった28歳での結婚発表。あれから20年……父としてのイメージを出さずにいた木村拓哉の“父タク・解禁”は、新鮮な驚きを持って受け入れられている。

 そんななか先日、5月1日のCocomiさんの誕生日に公開されたインスタライブでは、妹のKōki,さんと揃って「トト(木村拓哉)のドラマとか見たりしますか?」というファンからの質問に「見ますよ~!」と答える場面があった。Kōki,さんが「キスシーンで叫んだ」と、2010年のドラマ『月の恋人~Moon Lovers~』など出演ドラマや映画の名前が上がるなか、「昔のやつ(ドラマ)は見てないかも……」というCocomiさんに「そうそれね!見たいなって思ってたの」という会話が印象的だった。

 なるほど、 “木村拓哉の娘に生まれてきた”という幸運が大きすぎて、今まで知る機会がなかったのですね……。

 そこで、本稿では、“木村拓哉ドラマの神回”を紹介する形でおふたりにお伝えしたい。

 木村拓哉が父になる前の90年代、そして幼くておふたりが覚えていらっしゃらないかもしれない2000年代初頭の頃の輝きを――。

その1)「俺じゃダメか?」伝説のバックハグ 『あすなろ白書』第2話

 まずご紹介したいのは1993年の『あすなろ白書』。きっと、おふたりが記憶に強く、そして世間的にもイメージが強いのは、“主演の木村拓哉”だと思う。2000年代の木村拓哉は、連ドラに出演する場合は基本的には主演。そうなってしまうのが、スター・木村拓哉の宿命とも言える。しかし、実は、木村拓哉は脇でも光る。

 大学生の恋物語である『あすなろ白書』で木村が演じたのは、ヒロイン・なるみ(石田ひかり)に恋する・取手くん。このドラマの主演は筒井道隆演じる掛居くんだった。

 他にも女性の陰がある掛居くんより、なるみに一途な取手くんに視聴者の気持ちが傾きかけているところで、繰り出されたのが第2話。「俺じゃダメか?」と言いながら、取手くんが後ろからなるみを抱きしめる姿は“あすなろ抱き”と呼ばれ社会現象に。木村拓哉の人気がお茶の間で沸騰した瞬間とも言える。

「月9の主演」を蹴って、取手くんを選んだ理由

 ちなみに、このドラマのキャスティングには逸話がある。

 もともと、プロデューサーである亀山千広(後のフジテレビ社長)からのオファーは、実際と逆、すなわち主演の掛居くんに木村拓哉、2番手の取手くんに筒井道隆だった。しかし、その配役を「チェンジしたい」と木村は申し出たのだ。

 木村にとっては「月9の主演」を蹴って、自ら番手を下げる判断。これは筒井も同意の上だったが、プロデューサーが決めた配役を、若手の俳優が変える、というのは基本的にありえない話だ。それでも、2人の提案は受け入れられ、異例とも言える配役交代が決定する。これは亀山プロデューサーが「このドラマで人気が出たら、いまオンエアされている、どのCMの誰のポジションに就きたいのか、イメージできているのか」と2人に確認したところ、明確なイメージができていたことが決め手だったという。(「THE 21」2008年5月号より)

 自分の将来像に若い頃から強い意志を持っていた木村拓哉。このドラマ出演をきっかけに、人気は沸騰し始めたが、初の主演ドラマとなる『ロングバケーション』でキムタク人気が爆発するのは、まだその3年後の話だ。

その2)ラーメン屋でアルバイトする姿が…… 『若者のすべて』第2話

 そして『あすなろ白書』の翌年、同じ亀山千広プロデューサーと組んで、またしても男2番手で出演したのが『若者のすべて』だ。

 今やNHKの朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』『おひさま』『ひよっこ』と3作も手掛ける脚本家・岡田惠和の初のオリジナル作品での連続ドラマ。主題歌は、Mr.Childrenの「Tomorrow never knows」だった。

 ここで演じたのは、揺れる若者。おふたりが記憶されているドラマは、検事に医師に果ては総理に……と職業がはっきりしているものが多かったと思うが(ちなみにトレンディドラマの80年代後半から、恋愛ドラマが全盛だった90年代を経て、2000年代にお仕事ドラマが増えていったこと自体が2001年の『HERO』、すなわちお父様の功績です)90年代の木村拓哉は、不安定な揺れる若者も演じていた。かの『ロングバケーション』で演じた役もピアニストとはいえ、まだ音楽教室の先生で生計を立てていた。

 職業がしっかりしている木村拓哉もいいが、未来が未確定な木村拓哉もいい。

『若者のすべて』はメインキャストに萩原聖人、武田真治、深津絵里、鈴木杏樹と当時を代表する布陣で、彼らが22歳の若者を演じている。(ちなみに、当時『恋しさと せつなさと 心強さと』を歌ってる人という印象だった篠原涼子や、『星の金貨』前の大沢たかおも脇を固めるなど、亀山プロデューサーの先見の明も光るキャスティングだ)

 実家の工場を継ぐ者、幾度も浪人しながら医学部受験を続ける者、就職する者、演劇の道に進もうとする者……徐々に人生の歩幅に差が生まれ始めた同級生たちの中で、木村拓哉が演じるのは友人の傷害事件を機に失踪してしまった男。夜はクラブ、昼はラーメン屋で働くフリーターである。

 注目すべきは第2話。ラーメン屋でアルバイトをする姿が描写されるのだが、それが社会に反抗しながら生活のために働いている若者然としていて、『グランメゾン東京』での料理人姿とはまた違った佇まい。

 そして、2020年の今見返して気づいたことがある。ラーメンを作りながら濡れた手の水をはじく姿。それが先日公開された、木村拓哉の自宅と思しき場所での手洗い動画を彷彿とさせるのである。丁寧に正しく手を洗ったかと思いきや、豪快に手を下に振り水を弾き飛ばす動画での姿は、確実にこの1994年の若者・木村拓哉の延長線上にあったのだ。

 2003年の『世界に一つだけの花』の大ヒット以降、国民的アイドル・SMAPは“正しいメッセージ”を発する役割を担わされてしまったが……実は今の素の木村拓哉はむしろ90年代に持ち合わせていた反骨精神を未だに持ち合わせていて、隠しているのではないか――。いや、そんなことはおふたりが一番知っているかもしれませんね。

 そして93年『あすなろ白書』、94年『若者のすべて』ときて、96年に初めて主演したのが『ロングバケーション』である。

 翌年の『ラブジェネレーション』も含め2年連続の月9ドラマで人気は爆発。2000年1月期にはドラマ『Beautiful Life ~ふたりでいた日々~』で平均視聴率32.3%、最高視聴率41.3%を記録した年の冬に結婚発表。そして、結婚を挟んで人気が衰えないか心配された矢先の、2001年の『HERO』。11話全てが30%超えは日本の連ドラ史上唯一の快挙だ。

番外編)木村拓哉×超人気歌姫のレアなコラボ 『TV’s HIGH』最終回

 そんな『HERO』と同時期に放送されながら、いや同時期だったからなのか、大きな注目は集めなかったものの、木村拓哉だから成立したとも言える快作がある。それが、『TV’s HIGH』。スタッフの笑い声も入るコントバラエティとも言えるが、テレビドラマ仕立てになっており、ここで木村拓哉が演じるのは木村拓哉本人。

「君ばっかり出演する番組を作れば……高視聴率とる番組ができるんじゃないかと思ってね」とやってくる元都知事・青島幸男ほか怪しい人々に囲まれ、ひとりでテレビ局を開局し、視聴率80%を目指すというもの。画面に向かって話しかける手法や“個人チャンネル”という発想はYouTuber時代を10年以上早く予見していたともいえる。

 その先見性のある企画に、尖った笑いを加味するのがこの番組の構成作家陣。『SMAP×SMAP』でも組んでいた鈴木おさむに加え、『時効警察』などの大人気ドラマシリーズを手掛ける前の三木聡、『池袋ウエストゲートパーク』で注目を浴びた直後の宮藤官九郎が名を連ねる。その後のドラマを引っ張っていく面々がこの木村拓哉のおもしろ企画のもとに集っていたのである。特に三木聡と宮藤官九郎という異才と木村拓哉のコラボレーションは貴重だ。

 才能のもとには才能が集まる。さらに、これは人気ジャニーズタレントに共通して言えることだが、木村拓哉という大スターがいることである程度の商業的な成功は固いので、企画自体を尖らせることができるのである。結果、他では見られないような内容が成立する。

 その象徴が最終回の宇多田ヒカル登場回である。

 1998年のデビューから2年。当時ほとんどテレビに出ていなかった宇多田ヒカルが、音楽番組ではないこの番組に出演するのはちょっとした奇跡だった。YOUと宇多田ヒカルが入れ替わった、という設定で、ボケる宇多田ヒカルに木村拓哉がツッコミ続ける。

「(木村拓哉と宇多田ヒカルという)スター2人が並べば視聴率が取れるんだろう?」というテレビ業界への揶揄のようなものまで含まれ、批評性の高い番組の締めくくりを飾るに相応しい回となった。

その3)スター・木村拓哉のささやかな反抗? 『GOOD LUCK!!』最終話

 そして、2003年2月にKōki,さんが生まれた当時、まさに放送中だったのが『GOOD LUCK!!』。

 美容師やピアニストなど、木村拓哉が演じた職業は憧れの的となり、実際このときも航空業界への就職を夢見る若者が急増。その後、2000年代に木村が演じた役がF1レーサー、アイスホッケー選手、財閥専務、内閣総理大臣……だったことを考えると、ここで演じた副操縦士・新海は貴重な “就職活動で就ける仕事”、すなわち“普通の人の延長線上にいるカリスマ”だったかもしれない。

 最終回は、最高視聴率・37.6%を記録。ラストのシーンで新海はこう機内アナウンスをする。

「現在、地上では世界的に少々荒れ模様になっておりますが、そのうち必ず……近いうちにまた晴れ間がさすことを皆様と一緒に願いたいと思います」

 この機内アナウンスのセリフは、一説によると、木村拓哉のアドリブだった……とされている。ときに、イラク戦争開戦直後。そんな世界状況を憂慮して、木村が機転を利かせたのではないか……とまことしやかに囁かれている。

 政治的なメッセージは発さないジャニーズタレントたちの中にあっての、スター・木村拓哉のささやかな反抗であり、世界への優しい愛。実際の意図はなんだったのか、そして、2020年のこの世界に木村拓哉は何を言うのか――答えは、その優しい愛を受け続けてきたであろうおふたりがお父さまに聞いて頂ければ幸いです。

(霜田 明寛)