失言、パワハラ、セクハラ…なぜ「老害」化する高齢者が増えているのか

2021年8月15日

プレジデントオンライン

東京五輪・パラリンピック組織委員会の理事、評議員らの合同懇談会で辞任を表明し、厳しい表情であいさつを続ける森喜朗会長=2021年2月12日、東京都中央区(写真=時事通信フォト)

富と名誉を得た権力者たちが「老害」と呼ばれるこのご時世。「老害」とそうでない人の違いとはいったい何でしょうか。また、老化からあらがうにはどうしたらよいのでしょうか。勝間和代さんが、「長生きリスク」とその回避方法を考察します――。
※本稿は、勝間和代『健康もマネーも人生100年シフト! 勝間式ロジカル不老長寿』(宝島社)の一部を再編集したものです。


■「老害」は何が悪いかわかっていない

老化というと、私たちはつい身体的な面ばかりを注目してしまいます。しかし、もっと怖いのは、身体よりもその中身の老化のほうです。

つまり、価値観や感性の老化です。もしくは、知覚や認知の老化、と言ってもよいでしょう。

私たちの社会というのは常に前進しています。10年前、20年前に比べて、ありとあらゆることがよくなっています。

多様性を尊重することや人権、人間の尊厳に対する価値観に対する老化は、最も典型的なものでしょう。ひと昔前だったら当たり前とされていたような発言や冗談も、今日ではパワハラやセクハラとされます。

私たちがなぜ、ある程度、年齢のいった人たちと話が合わなくなるかというと、こうした価値観が違いすぎるからなのです。そこには、老化の問題も大きく関わっているだろうと私は考えています。

日本オリンピック委員会の臨時評議員会の場で、森喜朗さん(当時、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長)が、女性に対して「発言が多すぎる、わきまえていない」などという無防備な失言をしたことで、会長職を辞することになりました。みなさんも記憶に新しいことと思います。

私は、その後の釈明記者会見をたまたまリアルタイムで、テレビでずっと見ていました。

本人は何が悪いのかさっぱりわかっていない様子で、「謝れと言われたのでとりあえず謝っている」感が満載だったのです。

私は、森さんの肩を持つわけではありませんが、正直、気の毒だ、とも思いました。これまでの経験や業績を買われ、さまざまなスポンサーからお金を集めるために会長となり尽力してきたのです。

「老害」と一言で片付けてしまえば簡単な話ですが、会長としてさんざん、使われたあげくに、1回の失言であれだけ糾弾されたのですから、たまりません。

しかし、これも価値観の老化といえば、そういうことだと思います。

■ティーグラウンドで立ち小便するメイワク高齢者

私はゴルフをよくやりますから、自分のクラブのオープン・コンペや他クラブに1人で予約を入れたときには、さまざまな高齢者の方とお会いすることがあります。

正直に言えば、そうした高齢者のなかには、この人とはもう二度とゴルフをしたくないなというひどいマナーの人が稀にいるのです。もちろん若い人のなかにもそういう人はいますが、大概は高齢者である確率が高いのです。

いったいそれはどうしてなのか。ゴルフのマナーも年々、進化していますので、昔よりもずっとマナーには厳しくなっているのですが、そうした変化についていけず、マナーを守れない高齢者が増えているのではないかと思います。

プレーヤーの前に出ない、前の組に打ち込まないなどというのは、最近ゴルフを始めた私にとっては当たり前のことなのですが、30~40年も前に始めた人たちにとっては堅苦しいルールなのでしょう。こうしたある種のコンプライアンスを守る気配が、このような人たちにはまったくないのです。

さらに、いちばん私が驚いたのは、ティーグラウンドの横で80代くらいの男性が立ち小便をしたときでした!

「これから小便するから」と言われたときには、私は聞き間違えたのかなと思ったのですが、本当にそこで立ち小便をしてしまったのです。

正直、私はその光景が、トラウマになりそうです。

自分のメンバークラブなのに、もうそのティーグラウンドには立ちたくありませんし、違うクラブの会員権を買おうかと思ったくらい、衝撃的な出来事でした。

もちろんすべての80代男性が、こんなかたちでゴルフのラウンドを回っているとは思いません。また、その男性は高齢で足も悪いため、尿意も我慢しづらくなっているうえにトイレに行くのも大変だったことも、重々理解しているつもりです。それでも大変失礼ですが、嫌なものは嫌なのです。これはもう生理的な嫌悪なので、私にはコントロールしようがありません。

■長生きリスクは3つある

私たちは100歳まで長生きすることを前提とした時代、つまり今日の人生100年時代を生きる場合には、とりわけ70~80歳を超えたときに、次の3つのリスクに対峙しなければならなくなります。

その1 身体的衰えのリスク
その2 金銭的収入減のリスク
その3 社会的つながり減のリスク

ここでは、その概要について、お話ししたいと思います。

■長生きリスクその1 身体的衰えのリスク

まずはその1の身体的衰えのリスクからです。

身体的衰えのリスクは、老化が人間について回る、死に至る慢性病であるからこそ、人生の最後まで回避することは不可能です。それは、人間も含めた動物すべてがいまのところ、みな死すべき定めの存在だからです。

しかし、その老化スピードをコントロールすることは可能です。老化スピードをうまくコントロールしながら、頭だけは柔軟に保ち、身体的な衰えを経験と知恵でカバーしながら歳を重ねること。これが、長生きリスクのうち、身体的な衰えのリスクへの対処法と言えるでしょう。

■長生きリスクその2 金銭的収入減のリスク

次は、2番目の金銭的収入が落ちるリスクです。

いまでも多少、その慣例は残っていますが、かつての日本は年功序列が当たり前で、歳を取るとともに収入も上がっていく時代でした。この時代は非常に長かったのですが、現在は新卒から入社年数が経過したとしても、大した昇給は望めない時代になっています。自分でしっかりとしたスキルアップや転職、独立などを重ねないと、一向に収入は増えません。

その反面、年功序列システムが崩れたということは、逆に個人事業主にとっては、インターネットなどを駆使してさまざまな方法で小規模ながら事業を起こすことができるようになりました。

また、それにつれて年齢差別もだんだんとなくなってきました。そのため、本人の希望と覚悟、そして戦略さえあれば、本当に頭や身体が動かなくなる、死に至るその直前まで、現役の仕事を行うことだって可能になったのです。

仮に定年後も自由自在に頭も身体もよく動き、さらに仕事も楽しければ、わざわざ定年だからと仕事をやめる必要もないのです。勝手に「定年」なんて年齢の区切りを作る必要はありません。むしろ、定年後のほうが、これまでの経験や知識の蓄積を生かして、社会に貢献し、楽しく仕事ができるようになるでしょう。

では年金生活における最大のリスクとは何かというと、月々の収入は増える見込みがほとんどないということです。つまり、よい変化が期待できないのです。

私たちは、そもそもどういうときに幸せを感じるのかというと、現状よりもよい生活が手に入るという希望がある、そうした希望が感じられるときにより多幸感が強まるようになっています。

人類の進化を考える進化人類学という学問や心理学の研究蓄積からわかってきたことなのですが、私たちの生体には、安定した状態に保とうとするホメオスタシスという性質があります。恒常性とも訳されますが、これは逆にいえば、一度得た幸せな状況や環境にはすぐに適応し、慣れて不感症のような状態になってしまうことを意味しています。

だからこそ、より高みを目指しよい生活を送ろうと努力を積み重ねてきたことが、今日までの人類の発展と進化につながっているのだそうです。

ですから、多少収入が低かったとしても、その後に増える見込みがあるときのほうが、安定した収入があるけれどもこれ以上増える見込みがないときよりもずっと幸せを感じやすいのです。

この意味で言うと、年金生活の問題点は、必ずしも収入は潤沢ではないうえに、さらに増えていく見込みがない、ということなのです。

そのため、収支の差分については、これまでの蓄えを少しずつ切り崩して使うことになります。自分の資産がだんだんと目減りしていくのを好ましいと思う人はどこにもいないでしょう。

■フローの現在価値のほうが重要

私は「生涯の財産」ということをよく考えますが、金融資産というのはあくまでもそのときのストックを指すものにすぎません。

これはよく言われていることですが、金融資産よりも、その人がどのくらい、将来お金を稼ぐことができるかというフローの現在価値のほうが、資産面で言うと実はより重要なのです。

つまり、年金生活の問題は、フローの現在価値が一定の数値に決まっており、それ以上まったく増えようがない、ということなのです。

もし、自分の稼ぐ能力が年を経るごとに衰えないどころか、だんだんと経験を積んでいき、逆に上がっていくのであれば、長生きをすることのリスクは少なく、むしろリターンの多い、好ましい状況だと言えるでしょう。歳を取ること自体が、歓迎すべきことになります。

このように長生きリスクを避け、長生きリターンを享受するためには、どんな収入体系を作っておけばよいのか、30代~50代の間が勝負と言えるでしょう。30代、40代、50代とやっておかなければいけない長生きリスクへのマネジメントが、そこにはあるのです。

■長生きリスクその3  社会的つながり減のリスク

次は、3番目の社会的つながり減に対するリスクについてです。この社会的リスクについては、意外と警戒している人は少ないのではないでしょうか。

身体的リスクについては、本人の予防措置や努力次第でどうともなりますし、金銭的な部分では健康保険だってあります。また、金銭的リスクについては、一応、最低限のレベルは、国が年金というかたちで保証してくれています。

しかし、社会的なつながり、人間関係の構築については、残念ながら政府は何も保証してくれません。人間関係は、本人の努力ももちろん必要ですが、相手もあることですから、それだけではだめでしょう。また、私たちは高齢になればなるほど、若い人たちからは敬遠されがちだということについては、十分に自覚する必要もあると思います。

老化の大きな問題は、何も筋力の衰えといった体力的なことだけではありません。脳には認知や思考、判断し行動する機能を司る前頭葉という領域がありますが、歳を取ると特にこの部分が衰えやすくなるのです。

前頭葉の大部分は前頭前野と呼ばれる領域で、人間の大脳のうち約30%を占めています。この前頭前野を含む前頭葉が衰えるということは、もの忘れが増えたり、思考能力が低下したり、感情のコントロールが効かなくなるので、キレたり、感情的になったりします。

なかでも社会的なリスクとして問題になるのは、やる気の低下でしょう。さまざまな社会事象に対する興味も薄れてしまい、考え方はアップデートされません。若い人たちにとって、そんな頑固で保守的な年上の人間と付き合うメリットはありませんから、当然、新しい付き合いもなくなるでしょう。

結果、年老いた人たちは、同世代の人間たちとばかりつるむこととなりますが、同世代の人たちも同じように年老いています。

亡くなってしまったり、病気になったりする人も増えてきますから、新しい付き合いができない人は、老後の期間が進むにつれ、どんどん孤独になっていきます。同世代の人としかつるめない高齢者というのは、若年層の人たちには魅力のない人たちです。そういう人たちがつるんでいるわけですから、ある意味、魅力のない人たちの集まりでしかない。

社会的なつながりとしては、代わり映えもせずに面白くもない。そして、自分もその一員と思われているということで、自己肯定感も下がってしまうでしょう。

■仕事を続けることがカギ

それでは豊かな社会的つながりを保つにはどうしたらよいか。

その最良の方法のひとつは、私は仕事だと思っています。定年後の年齢になっても仕事を続けていられる人は、みんな生き生きしていますし、人間付き合いも自分の同世代だけに限らず、若い人と積極的に交流をしている人が多いものです。おそらく、そうでなければ定年後も生き生きと働くことは難しいのでしょう。たとえ、仕事ではなくプライベートで会った人でも、仕事の話をしてくれる人は高齢者であってもとても魅力的です。

また、高齢者であっても社会に貢献し、対価として金銭を得るには、それなりの魅力を保っていないと実現できないことだと思います。

長生きをすることのメリットのひとつは、若い人に比べて、これまでの経験や蓄積が多く、経験値として自分の資産となっていることでしょう。しかし、そんな資産もうまく生かせなければ意味がありません。

結局、社会的に興味を持たれず、孤独を抱え、最悪な場合、孤独死なんてこともざらにあることだろうと思います。

勝間 和代(かつま・かずよ)
経済評論家/株式会社監査と分析取締役/中央大学ビジネススクール客員教授
1968年東京生まれ。早稲田大学ファイナンスMBA、慶應義塾大学商学部卒業。アーサー・アンダーセン、マッキンゼー・アンド・カンパニー、JPモルガンを経て独立。少子化問題、若者の雇用問題、ワーク・ライフ・バランス、ITを活用した個人の生産性向上など、幅広い分野で発言を行う。著書に『勝間式食事ハック』(宝島社)、『勝間式超ロジカル家事』、『勝間式超コントロール思考』『ラクして おいしく、太らない! 勝間式超ロジカル料理』(以上、アチーブメント出版)などがある。

(経済評論家/株式会社監査と分析取締役/中央大学ビジネススクール客員教授 勝間 和代)