「嵐」活動休止で探る「お茶の間感」や「普通さ」を保ち続けられた理由とは

2021年1月4日

デイリー新潮

 2020年いっぱいをもって活動を休止した嵐。20年の長きに亘り、生き馬の目を抜く芸能界でトップを走り続けた。彼らの言葉からその秘訣を探る。

「人はすぐ変わります。でも何も変わらずに、やり続けてくれた4人がいた」

 2020年の大晦日、大野智は嵐の活動休止前のラストライブでそう最後に挨拶をした。

 思えば大野智は『嵐にしやがれ』最終回の5人旅のロケでもこうしみじみと振り返っていた。

「変わってないよね」

 何気ない一言ではあるが、嵐が国民的アイドルでい続けられた理由を端的に表していると思う。

 そう、嵐は“変わってない”のだ。変わらない強さがある、と言ってもいい。これがどれだけすごいことか――嵐の歴史とともに考えていこう。

“変わること”と“変わらないこと”で揺れる

 1999年、嵐は『A・RA・SHI』でCDデビューした。デビュー曲こそヒットしたものの、その後、低迷の時期に突入し「ジャニーズなのにオリコン1位をとれない」事態も発生する。

 その渦中である2003年発売のアルバムに収録されていた『できるだけ』という曲がある。

「変わっていくことを何故 僕らは恐れるのかなぁ 変わらないものを笑うくせに」

と、“変わること”と“変わらないこと”で揺れる歌詞が、20代前半の彷徨う時期の嵐と重なる名曲である。最後のサビで高らかに歌い上げられる。

「できるだけ僕のままで いたいと思う気持ちは 甘えか自分らしさなのか わからないけれど」

 変わらずに自分のままでいたいと思うことは、甘えか自分らしさなのか、と自問自答し、答えは出ないまま曲は終わっていく。

「普通って一番難しいんです」

 その後、嵐の環境は一変する。

 2005年の松本潤主演ドラマ『花より男子』のヒットをきっかけに、グループ全体にも注目が集まるように。

 2006年は櫻井翔の『NEWS ZERO』キャスター就任、二宮和也のハリウッド映画『硫黄島からの手紙』と個人でも大きな飛躍が続き、『花より男子』の続編が放送された2007年に、人気が沸騰した。

 それからここまでの人気は周知のとおりだが、驚くほど嵐は変わらなかった。

 もちろん、技術などの進歩はあるものの、バラエティ番組に出ても驚くほどフラットで、偉そうになったりすることもない。メンバー同士も変わらず仲良くしている姿が放映され続けた。

 人気の低迷した時代を経て、国民的アイドルに。

 一気に環境が変わっていく中では、正直、変わらないでいることのほうが難しいだろう。

 就任から数ヶ月も立たないうちに、上から目線になるニュースキャスターも多い中、櫻井翔は常に自らを俯瞰し、いち取材者としてい続けた。

『嵐にしやがれ』『VS嵐』etc…5人はスター然とすることなく、どんなゲストを迎えてもフラットに迎え入れた。

 嵐を評する時によく使われる言葉は「お茶の間感」「普通さ」といった言葉で、それももちろんあるだろう。

 だが、思いを馳せてみて欲しい。

 20年の長きに亘り、「お茶の間感」や「普通さ」を保ち続けることがいかに難しいか。

 相葉雅紀は2002年の時点でこう語っている。

「普通って一番難しいんです」(月刊アサヒグラフperson 2002年12月号)

 アイドルという選ばれし者である彼らが、普通さを醸し続けるだけで難しい。その上、彼らは売れてもそれを保ち続けたのである。

 嵐の“変わらない”は、甘えではなく、自分らしさだったのだ。

ミリオン近くまでいったのは2枚

 変わらないということは偉業である。

 シングルの売上枚数に目を向けると、ミリオン近くまでいったのは2枚。

 100万枚を越え、現在の嵐のシングルの中で最も売上をあげているのが、最新にして活動休止前最後のシングルである『カイト』だ。

 そして、2位になるのが97万枚の『A・RA・SHI』。言わずとしれたデビュー曲である。

 つまり、出発点と到達点が同じ。デビューシングルと、21年後のラストシングルが近い売上を叩き出している。ここでも変わらないという偉業を達成しているのである。

 デビューの初速はよくても、徐々に勢いを失っていく……というのがかつてのアイドルの形だった。参考までにあげると、光GENJIはその始まりから終わりまで8年である。

少年たちが変わらない世界

 2020年の年末は、嵐の歴史を振り返る映像が多く流れたが、その容姿もいい意味で変わらない。

 もちろん経験による色気のようなものは増しているものの、デビュー当時の10代の面影を残したまま大人になっている。

 思えば――少年たちが変わらない世界というのは、ジャニー喜多川が理想とした世界だったように思う。

「13、14、15、16!その響きが好きだから!」

 ジャニー喜多川作・演出の舞台ジャニーズワールドシリーズではこのようなセリフが挿入される。

 ジャニー喜多川は、この年代だからこそ発せられる少年たちの美しさを捉え、アイドルとして世に送り出していた。

 最近でこそ20代でのデビューも珍しくなくなったが、かつてのジャニーズ事務所のアイドルは10代でのデビューを中心としていた。

 嵐も当時16歳3人、17歳1人、18歳1人の5人で結成されたグループで、そのルールを踏まえていた。

 SMAP以降のジャニーズアイドルは一気に寿命がのびた。

 10年足らずで解散していた時代とは違い、今後のジャニーズアイドルは自らで延ばした寿命に向き合うことになっていく宿命にある。

 ジャニー喜多川は、自らの“子ども”であるタレントが“少年たち”でなくなっていくことを恐れていたように思う。

 現にデビュー後のタレントが「昔はかわいかったのに」とがっかりされたというエピソードも存在する。

「それよりも、人間性」

「変わらないでいて欲しい」のは外見だけではないだろう。

 実は冒頭の大野の挨拶の「人はすぐ変わります」の前にはこんな言葉がおかれていた。

「僕は、このメンバー4人と20年以上一緒にいますが、一番思うことは、感謝していることは、人としての人間性。気配り、気遣い、感謝の気持ち。人によくされたら『ありがとう』を必ず言う。人のことを一番に考えて行動する。簡単なようで、なかなかできることではないと思っています」

 実は、ジャニー喜多川はジャニーズJr.の選抜基準をこう語っていた。

「踊りのうまい下手は関係ない。うまく踊れるなら、レッスンに出る必要がないでしょう。それよりも、人間性」(Views 1995年8月号)

 それは大野の語る言葉を加えて考えると“どれだけ売れても変わらない人間性”ということなのかもしれない。

 少なくとも、この5人は、ジャニー喜多川に選ばれたその日から、嵐になり、そして国民的アイドルとされるようになっても、感謝の気持ちを忘れない人間性を保ち続けた。

 ジャニーズの魅力は何か――そう聞かれ一言で答えなければならないとしたら「そこに少年たちの青春が存在し続けること」だと思う。青春が存在し続けるためには外見のみならず、内面の人間性も保たれ続けなければいけない。

 嵐は21年間、変わらない少年たちの青春を見せ続けてくれたのだ。

霜田明寛
1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は4刷を突破。 また『永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー』の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。SBSラジオ『IPPO』凖レギュラー。

週刊新潮WEB取材班編集

2021年1月4日 掲載