大野智、歌やダンスにアートもできる多才なリーダーの「唯一の弱点」

2020年12月29日

週刊女性PRIME

 今年いっぱいでグループでの活動を休止する嵐。今では国民的アイドルとして輝かしい功績を残しているが、ブレイクするまでには多くの苦難を経験してきた。活動休止まで残り5か月となったいま、メンバーが見た光と闇を振り返る―。

多才なリーダー・大野智

 嵐のリーダー、大野智(39)はほかの4人に比べて地味な印象があるが、実際にはあらゆる分野で才能を発揮していた。

「’02年の舞台『青木さん家の奥さん』で初主演を務めました。コメディー作品で、芝居はすべてアドリブ。関ジャニ∞の横山裕さんも出演しました」(スポーツ紙記者)

 当時からあまり前に出るタイプではなかったが、高い能力を持っていたと演出を担当した河原雅彦は、話す。

「芝居に、踊りに、歌、絵と多才なうえに、どれもレベルが高かったです。勘もよく、舞台で自分が何を求められているかを察知して自然に動いていた印象です。ひとつアドバイスをすると、求める以上のものがポンと返ってくる。彼からは可能性しか感じませんでしたね」

 共演していた横山とは、相性も抜群だったようで……。

「横ちゃんは、当時からおしゃべりでしたね(笑)。舞台裏や本番中に“俺はどこのグループにも入れてもらえないんや!”と言って、みんなを笑わせていました。彼は聞いてもいないのにプライベートな話をして、大野くんはそれを聞いてニコニコしていました。

 横ちゃんは、トークはうまかったけど、歌や踊りはまだ発展途上でした。対照的な2人でしたが、明るい性格の彼がいたから、大野くんもリラックスできたのでしょう」(河原)

 ’04年には、舞台『WEST SIDE STORY』に出演。松本潤、櫻井翔、生田斗真、風間俊介など、今のジャニーズを支えるメンバーがそろっていた。舞台美術を担当した松井るみさんは、大野は陰で努力していたと明かす。

「彼らの前にやっていた少年隊も苦労したほど、非常に高いレベルが求められる舞台でした。この舞台で踊るステップは非常に難易度が高いためか、劇場の中にある全身を映す鏡が置いてあるリハーサルルームで、ひとりコツコツ練習していたそうです」

 ドラマやバラエティー番組で頭角を現したほかのメンバーとは、まったく異なる分野で注目されていった。

「’08年に東京の表参道ヒルズで個展『FREESTYLE』を開き、アート写真集も発売しました。もともと絵は得意でしたが、個展を開いたことで、本格的に芸術の世界に足を踏み入れました」(前出・スポーツ紙記者)

 この個展を開いたのには、大野の強い思いがあった。

「人物の水彩画から抽象画、粘土を使ったフィギュアまで幅広く作っていたのですが、

’06年にその作品が100以上になり、“ファンのみんなに見てもらいたい”と思ったのが開催のきっかけ。彼自ら、ジャニーズ事務所に“個展をやりたい”と提案したそうです。普段、前に出るタイプではない大野さんの提案に事務所内では驚く声があがったといいます」(芸能プロ関係者)

カラオケ大会で歌った“あの曲”

 ’10年に主演を務めたドラマ『怪物くん』(日本テレビ系)は、大野の転機となった。

「怪物ランドから人間界にやって来た、わがままで子どもっぽい“怪物くん”を熱演。人気マンガの実写化を成功させたことで、子どものファンも増え、嵐はより幅広い層から支持されるようになりました」(同・芸能プロ関係者)

 同作の特殊メイクを担当した梅沢壮一さんは、運動神経が抜群だったと話す。

「撮影現場ではバドミントンが流行っていて、共演していた川島海荷さんや濱田龍臣さんとよくやっていました。僕もスポーツをやっていたので、彼と対決したのですが、すごくうまかったです。また、敵と戦うシーンでは、見事なバック転まで決めたので、驚きましたよ」

 撮影が終わった後に行われた打ち上げでは、“伝家の宝刀”も披露した。

「2次会でカラオケ大会のような雰囲気になりました。共演していたTOKIOの松岡昌宏さんは、坂本冬美さんがカバーしたビリー・バンバンの『また君に恋してる』を歌って場を盛り上げていました。彼が“そろそろ座長の『Monster』いこうか”と主題歌を提案。大野さんは、“松潤が歌ってるパートわからないよ~”と言いながらも、見事に歌い上げていました」(梅沢さん)

 アート、ダンス、スポーツ、どれをとっても一流だった大野にも“弱点”があって……。

「機械が苦手。スマートフォンが流行り始めていた当時、彼は疎かった。私が“絵を描くならフォトショップを使ったほうがいいよ”とすすめてようやく文明に触れだした印象です(笑)」(梅沢さん)

 嵐がメインパーソナリティーを務めた’12年の『24時間テレビ』では、画家の奈良美智さんとコラボしてチャリティーTシャツをデザインした。奈良さんは大野に素朴さを感じたという。

「世間ではスターと呼ばれる地位にいるのに、飾りがなく、美術学校の後輩のように思えて親近感を持ちました。実は、以前から彼の部屋で一緒にオリジナルバッジを作ったりして遊んでいたので、美術学校の課題をやる感じでした。ただ、2人ともなぜか、最初からTシャツに“双葉”のイメージを持っていて、お互いのアイデアスケッチを見せ合ったときにびっくりしました」

“課題”を通じてより距離が縮まったのだろう。

 あるとき、大野からこんなサービスが。

「嵐のライブの後、一緒にカラオケに行ったとき、“ライブでデビュー曲やらなかったね”と言ったら、彼が『A・RA・SHI』を歌ってくれました。うれしかったけど、世界中の大野、嵐ファンに申し訳なくなってしまいました」(奈良さん)

 あらゆる分野で才能を見せグループの躍進につなげた大野。対照的に、ひとつの分野を極めたメンバーもいて──。

大野の主な仕事(デビュー~’10年)

’02年……舞台『青木さん家の奥さん』で主演を務める

’04年……ソロコンサート『Extra Storm in Winter ’06 “2006×お年玉/嵐=3104円(サトシ)”』を開催

’08年……表参道ヒルズで個展『FREESTYLE』を開催。プライベートで制作した絵やフィギュア、オブジェなどが展示された、ドラマ『魔王』で初主演を務める。優しさを見せながらも、復讐に燃える冷酷な弁護士役を演じた

’10年……ドラマ『怪物くん』で主演を務める。プライドが高く、頑固でわがままな主人公“怪物くん”を演じた

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