嵐が被災地に寄り添った歴史、「松潤の胸熱メッセージ」と「二宮からの手紙」

2020年10月30日

週刊女性PRIME

 大ブレイクを果たし、国民的アイドルになった嵐は、日本の危機に立ち上がった。

「’11年の東日本大震災のチャリティーイベントとして、『嵐のワクワク学校』を開催しました。6月に行われる予定だった東京ドーム公演を、電力不足を考慮してチャリティーイベントに変更して実施。収益金の約2億円は東北の被災地に寄付されました」(スポーツ紙記者)

 ’12年2月に放送された『音楽のちから』(日本テレビ系)の企画では、宮城県の『七ヶ浜国際村』に被災地から500人を招待して大規模なライブを開催した。ライブの前にはメンバーがサプライズで仮設住宅を訪れていたのだが、彼らの訪問を受けた佐藤智子さんは驚いたという。

「事前にライブに応募したところ、テレビ局から“芸能人が来る”とは聞いていたのですが、まさか嵐が来るなんて思いませんでした。5人は私ともう1軒の家のふた手に分かれていました。私のところには、大野智さんと松本潤さんが来てくれました。2人は、私がいちご狩りに行った帰りに被災した話をすごく真剣に聞いていましたね」

 当時3歳だった佐藤さんの息子に、松本はこんな“胸熱”メッセージを送っていた。

「2人が帰るときに、息子がアメを渡していました。その後、私たちはライブに行き、握手会にも参加したのですが、松本さんは息子に“ちゃんとアメ食べたよ。ありがとう”と言ってくれたんです」(佐藤さん)

生徒全員ぶんのツアーTシャツ

 ライブのスタッフだった男性は、ステージ裏の5人に感動したと話す。

「みんなすごく人柄がよく、裏表がいっさいないんです。部外者の私だけでなく、ジャニーズ事務所のマネージャーさんに対しても礼儀正しく振る舞っていました。そういう姿を見て、彼らが人気になった理由がわかりましたね」

 直接、現地に足を運べないときも陰ながら被災地をサポートした。岩手県では’12年にワクワク学校の開催を計画していたが、実現できなかった。すると、5人は事務所を通じて、沿岸の小・中学校に文房具を寄贈したのだ。

 岩手県教育委員会 学校調整課の復興教育担当者に経緯を聞いた。

「8月にジャニーズ事務所側から、『ワクワク学校』が中止になってしまったので、制作したグッズを寄贈したいという連絡がありました。寄贈先を検討した結果、9月に沿岸の市町村の小・中学校に文房具を寄付することに。小学校には鉛筆とノート1万2603セット、中学校にはノートとレターセット7542セットが配布されました」

 その後も、嵐は何か災害が起きると、被災地を元気づけてきた。’16年4月の熊本地震のときは、3か月後に5人で益城町にある益城中学校を訪れた。

「学校は夏休みに入っていたので、事前に生徒には“芸能事務所から復興支援イベントがあるので、できるだけ参加してほしい”と、誰が来るかは伝えずに呼びかけていました。当時の全校生徒約700人のうち、400人~500人くらいが出席しましたね。5人が体育館に現れると生徒たちは絶叫していました。“大変ですが、頑張ってください”と励ましてくれたのが記憶に残っています。当時、ツアーの最中だったので、全校生徒分のツアーTシャツと図書カードもいただきました」(中学校職員)

「嵐が愛される理由がわかった」

 ’18年7月に、広島県や岡山県などを西日本豪雨が襲ったときは、松本が広島県庁を訪れて、義援金5000万円を寄付した。当日の対応にあたっていた、元広島県健康福祉総務課長の熊谷聡一郎さんに話を聞いた。

「彼は災害の2週間後に来られたのですが、実は、この時期は、被災者が精神的にいちばん大変なときなんです。災害が起きた直後はまだ復旧作業が立て込んでいますが、2週間たつとそうした作業が落ち着いて、これからの生活をどうするか考えるタイミング。家屋が全壊してどこで生活したらいいか困っている人が多かったので、そんな時期に来てくださったのはありがたかったですね」

 その後、避難所となっていた広島市内の小学校を訪れた。小学校職員によると、松本の滞在時間は長かったようだ。

「午後1時前に来られました。当初は30分ほどの予定でしたが、1時間以上いてくれたんです。避難所の人たちに“頑張ってくださいね”と声をかけサインにも応じていました。地方にいる私たちにとって芸能人はテレビで見るだけの人なので、来てくれるだけで元気をもらえましたね」

 嵐はボランティア活動に精力的に取り組んでいるが、その中でも松本は人一倍、被災地のために汗を流してきた。

「『ワクワク学校』の企画やアイデアは、彼のほうから積極的に提案していたそうです。ほかのメンバーに比べて、現地に足を運ぶ回数は松本さんがいちばん多いですし、働きぶりに驚いたスタッフも多かったようです」(芸能プロ関係者)

 ’18年の西日本豪雨では二宮和也も岡山県庁を訪問した。二宮と対談した伊原木隆太知事は元気づけられたと話す。

「スーツ姿でお越しになり、神妙な面持ちでお話しされる姿や言葉から、被災地を応援したいという優しい気持ちが伝わってきました。報道カメラがない場所でも、“協力を惜しまない”と話されていて、嵐があれだけ愛されている理由がわかりました」

 その後も、二宮とは交流があったようで─。

「昨年の秋ごろに伊原木知事から感謝の意を伝える手紙を送ったところ、二宮さんからお礼のお手紙をいただきました。手書きで、“ありがとうございます。僕も頑張ります”と律義にお返事してくださりました」(岡山県庁職員)

 苦しいときに日本を支えてきた嵐は、やがて世界で輝く存在になっていく─。