2020年10月12日
週刊女性PRIME
今年11月でデビュー25周年を迎えるV6。『学校へ行こう!』で大ブレイクしたが、その後“冬の時代“も経験してきた。それでも、1人もメンバーが欠けず、4人が結婚しても人気は衰えない。なぜ、仕事もプライベートも、ここまで安定しているのだろうか。四半世紀で築き上げた6人の“愛“を振り返る──。
なぜV6は安定しているのか
’97年から始まったレギュラー番組『学校へ行こう!』(TBS系)で絶大な人気を誇ったV6は、’08年に番組が終了して以降、個々で活躍していった。
「坂本昌行さんはミュージカル、長野博さんはグルメ、井ノ原快彦さんはMC、森田剛さんは舞台、三宅健さんは手話、岡田准一さんは俳優と、得意分野がはっきりしています」(スポーツ紙記者)
今では、日本アカデミー賞を受賞するなど、俳優として高く評価されている岡田だが、デビュー間もないころに彼を取材したことのある芸能ライターの女性は、当時からその片鱗があったと話す。
「’01年にテレビ朝日系で放送されたドラマ『反乱のボヤージュ』で渡哲也さんと共演し、彼の演技に影響を受けたみたいです。ほかのメンバーに“もっと芝居をやりたい“と話していて、かなり熱い思いを持っていましたよ」
’08年に放送された『SP スペシャルアンコール特別編』(フジテレビ系)で共演した春田純一は、現場の空気作りがうまいと感じたようだ。
「私が公安として岡田さんを取り調べるシーンで一緒になったのですが、彼は役に入り込んでいて、集中していました。緊迫したシーンだったので、現場の雰囲気も和気あいあいとしたものではいけません。彼はきちんとわかっていて、そうした空気を作ろうとしていた印象を受けました」
’08年に公開された映画『陰日向に咲く』では、何をやっても成果の上がらない若者役を演じた。同作で照明を担当した中須岳士さんは、岡田のストイックな姿勢に驚かされたという。
「映画は爆破や火事のシーンでなければ1台のカメラで撮ることが多いんです。いろいろな方向から撮るために、何度も同じ芝居をする必要があるので、岡田さんが雨の中、涙を流すシーンは10回以上撮りました。
普通、リハーサルのときは力半分で演技をすることが多いのですが、彼は常に120%でやっていた。毎回、全力で涙を流していたので、よくここまでできるなと驚きましたね」
役者として評価された岡田に対し、井ノ原は『あさイチ』(NHK総合)のキャスターとして“朝の顔“になった。
「’10年3月から’18年3月の8年間にわたって、元NHKアナウンサーの有働由美子さんとともに人気を博しました」(前出・スポーツ紙記者)
’17年から1年間、一緒に仕事をした副島淳は、井ノ原の気遣いに癒されたと話す。
集まれば一体感のあるV6
「初めてお会いした際にすごく緊張していたのですが、気さくに話しかけてくれて、緊張をほぐしてくれました。本番前に楽屋に挨拶をしにいくと、楽屋に入れてくれたこともあります。
井ノ原さんが東京の大田区出身で、僕も大田区の蒲田で生まれたので、“副島くん、蒲田なんだって? 俺も大田区だから地元一緒だよ“と言って、地元トークをしたことを思い出しますね」
8年間、苦楽をともにしてきた有働とは、阿吽の呼吸ができあがっていたという。
「2人が番組を卒業するときに、スタジオでお別れ会をやったのですが、有働さんが感極まって涙を流すと、井ノ原さんがスッとハンカチを渡していました。有働さんは“私、結婚するならイノッチみたいな人がいい“と言っていましたよ(笑)」(副島)
長野は調理師と野菜ソムリエの免許を取得し本格的なグルメレポーターになった。
’14年には長野が作った料理を紹介する書籍『長野博のなっとくめし』(マガジンハウス)を刊行した。
担当編集者の阿部優子さんによると、
「新米を使った料理を作る企画で、ご自分で私物の土鍋を持ってこられました。彼の家のキッチンには精米機など、いろいろな道具があるそうで、すごくこだわっていました。
芸能人でグルメ好きな方の中には、お肉のことに詳しいなど、ひとつのことに精通している人はいますが、長野さんは野菜やお米などいろいろな食材に詳しかったですね」
個々で光るものを持っていたことに加えて、グループではこんな“武器“が。
「ダンスの技術が非常に高いんです。メンバーのほとんどが40歳を越えていますが、難易度の高い振り付けを導入した曲が多く、全員しっかりそろっている。普段は別々に仕事をしていても、ひとたび集まれば、強い一体感があるんですよ」(テレビ局関係者)
芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、大きな不祥事がなかったことも安定した人気につながっていると指摘する。
「若いころに交際報道はありましたが、不祥事が報じられたことはなく、クリーンなイメージです。それぞれやりたい仕事ができて、ときどき全国ツアーも行うなど、グループ活動もおろそかにしない。
だから、長く活動を続けていけるのでしょう。たとえるのであれば、仲のいい同級生が1年に1回集まる“同窓会“のような雰囲気でしょうか」
ただ、彼らもデビュー15年目となる’10年ごろには、“マンネリムード“が漂っていた。
「当時、後輩グループの嵐が人気絶頂だったこともあり、大型の音楽番組への出演が減り、6人全員ではあまり目立った活動はしていませんでした。グループの勢いも少々衰えているように見えましたね」(前出・テレビ局関係者)
『ジャニーズは努力が9割』(新潮社刊)の著書があり、ジャニーズ事情に詳しい霜田明寛氏は、“セクシー“ダンスで6人が復活したと話す。
セクシーを武器にしたV6
「’11年に『Sexy.Honey.Bunny!』という曲を出したところ、コアなファンの間で“V6ってすごくない!?“という声があがりました。また、ダンスのレベルも’11年ごろに完全に成熟したと言っていいでしょう」
なぜ、この曲が転機になったのだろうか。
「デビューから16年がたち、大人になった彼らの色気が醸し出されていたんですよ。この曲を引っ提げて8都市17公演で行った全国ツアーでは18万人を動員。
ライブ演出は坂本さんが岡田さんを抱き寄せるなど、普段よりメンバー同士の仲のよさが強調されていて、改めてV6の魅力を実感した人も多かったと思います」(芸能プロ関係者)
6人は、やがて私生活でもピークを迎えていく……。