2020年10月7日
週刊女性PRIME
少年隊の植草克秀と錦織一清、中居正広、TOKIOの長瀬智也らが相次いで退所を発表し、ファンを悲しませるニュースが続いているジャニーズ事務所。そんな中、喜ばしいことが!
「1995年にデビューしたV6が、今年で25周年を迎えました。これまで、彼らは目立った不祥事もなく、デビューから現在までメンバーが1人も脱退していません」(スポーツ紙記者)
V6は、一時代を築いた先輩グループ・光GENJIが解散した翌日の9月4日にデビュー記者会見を行った。
「同じ年の11月1日に『MUSIC FOR THE PEOPLE』でCDデビュー。比較的、年齢の近いメンバーが集まるジャニーズのグループが多い中、年長組の坂本昌行さん、長野博さん、井ノ原快彦さんのトニセンと、年下組の森田剛さん、三宅健さん、岡田准一さんのカミセンの2組が合体しためずらしいグループでした」(同・スポーツ紙記者)
“ジャニーズ予備校”合格で入所
6人の境遇もバラバラだった。
「森田さんと三宅さんは、ジャニーズJr.時代から“剛健コンビ”として絶大な人気を誇っていました。一方、岡田さんは日テレ系の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のジャニーズ予備校という企画で合格して入所。当時、岡田さんは10歳年の離れた坂本さんがそうとう怖かったそうです(笑)」(芸能プロ関係者)
デビューから間もないV6を取材したことのある芸能ライターのAさんは、初々しかった当時を懐かしむ。
「坂本さんは少し抜けたところはありましたが、みんなをまとめるお父さんで、長野さんが彼をフォローするお母さんという感じ。井ノ原さんはどちらかというと、年下3人と仲がよく、4人の男兄弟という印象です。Jr.のころからお互いをよく知らなかったからか、最初は学校でクラス替えをして、そこに転校生が入ってきたような雰囲気でしたね」
“クラス替え”から時間がたつと、撮影の合間にメンバー同士で冗談を言い合ったり、追いかけっこをするなど、仲のいい姿を見せるように。
「カミセンを温水プールで撮影したのですが、撮影が終わると、3人はプールの中でじゃれ合い始めてとてもにぎやかでした。トニセンとカミセンから1人ずつ選んで、どちらかがインタビューする企画では、私たちがいくつか質問内容を考えていたのですが、坂本さんが岡田さんに“寝る前って何考えてる?”など、自分が気になることも質問していましたね(笑)」(Aさん)
ただ、6人は単なる“仲よし”とは違っていたという。
「ベタベタするのではなく、年の差はあっても、お互いを尊敬し合っていた印象です。彼らはバックボーンやキャラクターもバラバラですが、自分にないものをお互いに素直に認め合えたのかもしれません。少年漫画に出てくるような男同士の関係という感じでしたね」(Aさん)
V6は、1997年10月に始まったレギュラー番組『学校へ行こう!』(TBS系)でスターダムに駆け上がった。
「中学生や高校生を中心とした学生を応援するためメンバーが直接、学校へロケに出向く番組。『未成年の主張』など人気コーナーを生み出し、視聴率は20%前後を記録する、国民的な番組になりました」(前出・芸能プロ関係者)
みのもんた絶賛のチームワーク
同番組でMCを務めたみのもんたに話を聞くと、一緒に仕事をしていて気持ちがよかったという。
「坂本くんがメンバーをきちんとまとめて、チームワークの高さを感じたね。スタジオでも、ロケ先でもみんなすごく礼儀正しくて、ビックリしました。明るくて、おおらかで健康的なスポーツマンの集まりという感じだったよ」
だが、2008年に番組が終わると、6人そろった姿を見る機会が次第に減っていった。
「後輩である嵐やKAT-TUNが大ブレイクしましたからね。V6もCDはリリースしていましたが、音楽番組への出演はほとんどなかった。テレビ局は、人気が出始めた嵐を出演させたほうが視聴率が取れると考えたのでしょう」(レコード会社関係者)
2009年のトニセンのツアーでは、こんなピンチも。
「チケットが完売にならず、会場には空席が目立っていました。メンバーはライブ中に“ちらほら席が空いてるのが気になるな”と冗談まじりに言っていましたが、内心焦りもあったと思いますよ」(同・レコード会社関係者)
6人は“冬の時代”をどのように乗り越えたのだろうか。『ジャニーズは努力が9割』(新潮社刊)の著書があり、ジャニーズ事情に詳しい霜田明寛氏は、“15年前の誓い”が転機になったと指摘する。
「以前、岡田さんが雑誌のインタビューで2005年のデビュー10周年のときに“メンバーそれぞれが職人のように極めたものを持って頑張ろう”と6人で話し合いをしたことを告白しました。それ以降、岡田さんは映画の出演が増え、森田さんは2005年に初舞台に出演、井ノ原さんはNHKの『あさイチ』でキャスターを務め、坂本さんはミュージカル、長野さんはグルメ、三宅さんも手話で評価されました」
彼らが職人性に磨きをかけることができたのには、こんな背景がある。
「人気グループの長所であり短所でもあるのですが、SMAPや嵐のように大ブレイクすると自由度がきかなくなる問題があります。一方、V6は毎年ツアーをやるわけではなく、レギュラー番組も深夜になり、6人が好きなことに挑戦しやすい環境にいました。ニーズはあっても、絶対的にグループ活動をしないといけない雰囲気ではなかったです。たとえるなら正社員として働くことに限定せず、副業も許されたというイメージでしょうか」(霜田氏、以下同)
伝説的グループを反面教師に
1人もメンバーが欠けなかったのは、“あの先輩”の存在が大きかったようで……。
「光GENJIです。V6は、先輩が売れてから解散するまでを間近で見ていました。また、坂本さんと長野さんは、光GENJIメンバーの佐藤アツヒロさんと年も近い。6人は、彼らを見て“俺たちは解散しない”と強く思ったのかもしれません」
先輩を尊敬する一方で、グループへの思いを強くする“アンチ光GENJI”精神を抱くことになったのだろう。
このまま25周年、30周年と6人そろって駆け抜けてほしい!