2021年4月13日
女性自身
前日までのうららかな春の陽気から一転、寒気が日本を包んだ昼下がり。コート姿で東京・原宿の路上を悠然と歩くのは宮沢りえ(48)。そして、身を寄せ合うように隣を歩くのはもちろん夫の森田剛(42)だ。
記念すべきりえの48歳の誕生日を迎えた4月6日。2人は高級ブランドが並ぶ原宿でも屈指の複合施設へと向かった。
「2人はアンティーク家具も販売しているおしゃれなセレクトショップで、椅子に並んで腰かけて談笑するなどとても楽しそうでした。りえさんが熱心に見ていた約10万円もするシックなセットアップを森田さんが会計に持っていって、プレゼントしていましたよ。よっぽどうれしかったのか、りえさんは店内のBGMに合わせて踊っていました」(居合わせた客)
買い物を終え、再び原宿の大通りを歩く2人。その手は固くつながれており、森田がりえを優しくリードしながらそのまま雑踏へと消えていった――。
人目を気にすることなく、終始ラブラブな様子のりえと森田。本誌は結婚前から2人の熱いデート現場を何度も目撃している。
’16年10月、旅行先の沖縄へ向かう飛行機内で森田にもたれかかるりえの姿を目撃。’17年12月には、訪れたゴルフ練習場で、ソファに座る森田にりえがそっと唇を重ねる一幕も。そして、練習場に入る際も2人の腕は固く組まれていたのだった。
独身時代、森田は理想の夫婦像についてこう語っている。
《結婚したら、奥さんを大切にするよ。安らぎがあって“空気”みたいな存在になるのも大事だけど、結婚記念日はデートするとか、ドキドキも必要かもね。そういう機会は、男性が作るべきだし。とにかく、ごくふつうの、あったかくて笑いの絶えない家庭を作りたい》(『ポポロ』’10年4月号)
■悲痛のりえ救った娘と森田の交流
’18年3月の結婚発表から3年たった今も、情熱的に愛を伝え合うりえと森田。しかし、そこにいたるまでの道のりは決して平坦ではなかった――。
’16年10月、一部週刊誌による“お泊まり報道”で2人の交際が発覚。世紀のビッグカップルに世間は沸いたが、りえは“心の傷”を抱えていた。
「’09年2月にりえさんは妊娠6カ月であることを発表。お相手の実業家男性・Aさんと4月に結婚し、5月に長女(11)を出産しました。しかし、それから3年後の5月にAさんと離婚協議中であることを発表し、約4年後の’16年3月にようやく離婚が成立。
成立までに4年もかかったのは、娘さんの親権をめぐり、Aさんとの協議が紛糾したためといわれています。協議中、りえさんは女優業と並行しながら女手一つで娘さんを育ててきましたが、“りえがAさんに娘を会わせようとしない”といった報道が出たこともありました。また、’14年9月には最愛の母・光子さんが65歳の若さで亡くなりました。以来、りえさんはふさぎこむことも多くなったそうです」(スポーツ紙記者)
相次ぐ悲劇からりえを救い出したのがほかならぬ森田だ。
「2人は’16年8月に舞台で初共演。ともに尊敬する蜷川幸雄さん(享年80)の追悼舞台ということもあり、意気投合し、交際に発展しました。しかし、当初は娘さんが大きくなってきたこともあって、森田さんとの交際を続けることに迷いもあったそうです。
そんなりえさんを気遣い、森田さんは人見知りながら娘さんと積極的にコミュニケーションを取ったそうです。娘さんもそんな森田さんのことを気に入り、“家族公認”の仲となりました。りえさんは彼にとても感謝しているそうです」(舞台関係者)
■仕事のオファーも夫婦で事前に相談
昨年4月、りえは本誌で行った瀬戸内寂聴さんとの対談で森田についてこう語っている。
《私も愛する存在がいてくれることはエネルギーの源のような気がします》
森田にとっても、りえは未来を照らす灯台のような存在だった。
先日、森田は今年の11月1日をもってジャニーズ事務所を退所し、俳優業に専念することを発表。V6の解散も発表された。人生を左右する夫の決断をりえは陰で支えていたという。
「’10年にもV6解散の議論がありましたが、当時の森田さんは『まだ燃焼しきっていない』と反対派だったと聞いています。それだけに今回の退所については、相当悩んだそうです。話し合い自体はメンバー6人だけで進められましたが、森田さんもりえさんには相談していたといいます。
結婚発表時、連名で《表現者として志高く歩んでいきたい》とコメントしていたように、りえさんと森田さんは互いに俳優として尊敬しています。どちらかにオファーが来た際は、脚本などを見せ、事前に相談し合うそうです。そんなりえさんが背中を押してくれたことで、森田さんも退所を決断し、役者一本で勝負していく覚悟ができたのでしょう」(前出・舞台関係者)
夫婦としてだけでなく“同志”としても手を取り合ってきたりえと森田。
“長女をともに育てあげ、共白髪になっても手をつないで”という誓いを体現した誕生日だった――。
「女性自身」2021年4月27日号 掲載