2020年7月7日
文春オンライン
ジャニーズ事務所所属タレント15組、総勢75名が参加する期間限定ユニット「Twenty☆Twenty」のチャリティーソング「smile」の配信が6月23日からスタートした。
Mr.Childrenの櫻井和寿が作詞作曲を手掛けたこの曲は、新型コロナウイルス感染拡大防止「Smile UP! Project」としてジャニーズ事務所が大々的に取り組んでいるプロジェクトの一環だ。そして、大勢のジャニーズタレントのなかで、歌い出しと数少ないソロパートを任されているのが歌唱力に定評があるKinKi Kidsの堂本剛(41)である。
しかしそんな堂本が、自身がパーソナリティを務めるラジオ「堂本剛とFashion & Music Book」(bayfm78)では最近、情緒不安定な様子を見せ、ファンから心配の声があがっているのだ。
メッセージを読み上げながら涙声に
「5月16日放送回で、剛くんは『(堂本の)ラジオを聴いていると繋がっているような気がして幸せ』というリスナーからのメッセージを読み上げている途中に涙声になってしまって。その後、看護師としてコロナ禍を過ごしているというリスナーの『(もう一度人生をやり直せてたとしても)看護師として働きたい』というメッセージを読み上げると、《この最後の思いはすごい……》と声を振り絞るように話した後、10秒以上沈黙が続きました。最後に剛くんは《すいませんね、いろいろと感極まっちゃって》と謝って放送を終えました。
翌週の放送では冒頭で《なんで自分が泣いてんのか(中略)いろんな人たちが頑張って支えてくれてるんだなっていうことになんか感動しちゃって》《すいません普通に読めなかったです》と前週の涙について語っていました」(KinKi Kidsファン)
そして約1カ月後、6月29日の放送でも堂本が涙する一幕があった。この回は、「一途に続けていること」というテーマで募集したメッセージを紹介している。
堂本の健康を祈るため、毎日神社にお参りしているというファンのメッセージに対して、感極まった様子でこう語った。
《あの、ほんとに離れた場所でね、こんなふうにしてくれてる人がいるんだなぁと思ってすごく幸せだなぁと思って》
《ありがとうございますって思ったから……あの……なんていうんですかね……(中略)やはりこういう(祈りや感謝を伝える)場所というものは大事なんですよね。神様という存在、仏様という存在、ご先祖様という存在は、そういう意味で僕はとても大事だと思ってるんですね》
そして、堂本のファンを27年続けてきたというリスナーの「(堂本と)同じ時を生きられていることを誇りに思う」というメッセージを読み上げているうちに声を詰まらせる回数が増え、とぎれとぎれの涙声が10秒以上続いた。
《ファンの前では楽しいこと……だけで……なく……。いやー無理ですね、普通に読むの。しんどいことや辛いことも話してくださっていますが、これからも我慢せず話してくださいね、と。母性の海で包みますから、と言ってくださっていますね》(2020年6月29日放送回 「堂本剛とFashion & Music Book」より)
ジャニーズタレントのなかでも人一倍繊細な性格
この放送に対し、多数のファンが心配の声を寄せている。
「剛くんのラジオはいつも、ファンへの愛で溢れているんです。だから剛くんの涙はファンに対する優しさと思いの証だとわかっているのですが、あの涙声を聞くとこっちまで泣きたくなってしまう。最近は、放送日が近づくと『また泣いちゃうのかな……』と不安になることもあって、すごく心配です」(同前)
堂本を「ジャニーズタレントのなかでも人一倍繊細な性格」だと語るのは、ジャニーズを長年取材してきた芸能記者だ。
「堂本くんは、入所した頃から今も変わらずずっと素直で優しい子というイメージです。20代のときに過呼吸症候群やパニック障害に罹ったことを公表していますが、繊細なところは今も変わりません。2017年には突発性難聴を発症していますが、原因は心身のストレスだと言われています。新型コロナの不安定な世の中に対して、ラジオでも人一倍強い感情があふれ出してしまったのでは。堂本くんが敬愛するジャニー喜多川氏も亡くなり、それからは特に不安定なようです」
ジャニーズ事務所の生みの親であるジャニー喜多川氏が87歳で逝去したのは2019年7月9日。芸能界にとどまらず、日本中に大きな衝撃を与えた。堂本は2019年10月上旬に配布されたKinKi Kidsのファンクラブ会報誌No.121でこう語っている。
《ジャニーさんが亡くなって会いに行った日も、帰ってきて普通に寝てん。大きな事柄なほど普通に受け止める。そうしたほうが、現実に起きている悲しい時間を過ごせる気がしたからね》
「特に、V6やTOKIO、KinKi Kidsなどの年代には、親代わりでもあったジャニーさんの死は重くつらいものだった。そのなかでも『剛はちょっと大変だった』と事務所に近しい人から聞くほど、堂本くんのショックは大きかったようです。なかでも堂本くんは特にジャニーさんが目をかけていたタレントのひとりでしたから」(同前)
その寵愛はプロデュースの域にとどまらなかった。「週刊文春」(2011年7月14日号)では、ジャニー喜多川氏が2004年に自身が渋谷区に所有する4部屋の超高級マンションのうち1部屋を堂本に譲っていると報じている。
ファンクラブ会報誌で「魂の在り方を変えられたら」
その愛情を一身に受けた堂本だが、ジャニー氏の死後、前出のKinKi Kidsのファンクラブ会報誌での発言が賛否を呼んだこともある。
「会報誌No.121は堂本くんの単独インタビューがメインでした。単独の表紙に剛ファンは喜んだようですが、内容には複雑な思いを抱えた人が多かったようです。インタビューは『自分でプランニングできる人生を歩んではいない』と事務所に対する反発と捉えられる感情の吐露から始まっていました」(業界関係者)
インタビューで堂本は《客観的に自分を見たとき、かわいそうだな。僕の魂は、もう少しこういうふうに生きたかっただろうなって思うこともある》《現実は変えづらい。(中略)魂の在り方みたいなものだけでも変えられたら》と内なるネガティブな部分を披瀝していた。
そして30歳を機に自分自身の生き方を模索したいと明かす中で、事務所への“反発発言”が飛び出すのだ。
《例えば、何歳だからとかジャニーズだからっていうような概念は、第三者が勝手に提供してくれるもの。僕発信のものではないと思ったので、それに付き合うのをやめてん》(会報誌No.121)
《第三者が作った概念にお付き合いすることに対して、あまり意味を感じなくなってしまった》(会報誌No.121)
アーティスト志向で、ジャニーに目をかけられていた堂本剛
堂本はKinKi Kidsとしての活動以外にも複数の活動を行っている。2002年にソロデビュー後、2005年には「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」という名義でのソロ活動を始動した。2009年には30歳を機に新たなアーティスト名「剛紫」としてデビューし、「美我空 ビガクmy beautiful sky」というアルバムを発表。さらに2013年には「堂本剛」名義に戻したうえでプロジェクト「SHAMANIPPON」としてアルバムを発表。その後は3年ほど新たなプロジェクトはなかったものの、2017年に「ENDRECHERI」と、かつての「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」を再始動させファンクバンドとしてアルバムをリリースしている。
前出の芸能記者が続ける。
「堂本くんがジャニーさんに可愛がられていた理由として、彼がアイドルではなくアーティスト志向だったことが大きい。プロデューサーとしてのジャニーさんは大多数とは違うことを言う子や、独特の感性を持った子を特に応援していたんです。堂本くんも繊細な芸術家肌なのでジャニーさんも目にかけていたのでしょう」
「宇宙みたいな、壮大な中でのつながりを築き上げたい」
ラジオ「堂本剛とFashion & Music Book」での言葉の節々にも、その繊細さは表れている。「(ファンに)甘えてください」というメッセージに対し、ファンとのつながりについて第三者が口をはさむことに苦言を呈しながらも、独特の言い回しで持論を展開した。
《やっぱりファンの人たちに伝えたかったりしたのは、意味って逆に求める必要ありますかっていうくらいの強さの、箱の中に収まらない、収まりきらない、収められるとしたら宇宙みたいな、そんな壮大な中でのつながりみたいなもの、強さみたいなものを人と僕は築き上げたいと思って生きているから。ファンの人ともそうなんです。ファンの人も人だし、逆を言えば僕も人だから、そういうつながりができたらなと思っています》(2020年6月29日放送回 「堂本剛とFashion & Music Book」より)
ジャニー喜多川氏は感性が人一倍鋭い堂本について、若いうちから気にしていたことがあったという。
「堂本くんがまだ20代の頃だったでしょうか。ジャニーさんが新聞のジャニーズ担当によく『(剛が)気をつけなきゃいけないのは新興宗教とかに入らないこと、捕まらないこと。そういうところがあの子は心配』と漏らしていたそうなんです。彼の人一倍繊細な性格を見抜いていたのでしょう」(前出・芸能記者)
不惑を過ぎた堂本、惑いなく進んでほしい。
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))