「V6解散」で思い出される中居正広と長野博の共通点とは

2021年5月25日

アサジョ

 11月1日、V6が解散する。6人はジャニーズ事務所で音楽活動をしている最長グループ。26年もの長きにわたる歴史は、俳優志向が高まった森田剛の脱退によって終止符が打たれる。

 最年長はリーダーの坂本昌行(49歳)だが、最古参はV6内ユニット・20th Centuryで一緒に活動する長野博。1986年に入所し、同期は元光GENJIの佐藤アツヒロ(当時は敦啓)と元SMAPの中居正広だ。表立っては接触がない86年組同期。しかし、長野と中居は運命的につながっていた。

「長野は13歳で入所。翌年、ジャニー喜多川さんから電話がかってきて、『YOU、スケボーできる?』と聞かれて、『できない』と答えるやる気のなさを見せました。その3分後に再びコールがあり、『だから、できないって!』と半ギレで答えると、その後プッツリと連絡が途絶えました。のちに、スケボーができる男の子たちで結成された“スケートボーイズ”が誕生。加入したのが中居でした」(アイドル誌ライター)

 長野はみずからチャンスを逃して、スケートボーイズ、のちのSMAPに入れなかった。

 奇縁か、中居も似た道を歩んだ。入所した翌87年、東京・後楽園ローラースケート場(現・東京ドームローラースケートアリーナ)で週に一度、ジャニーズJr.によるローラースケートの練習の場が持たれていた。中居も参加していた。

「ところが真面目に通ったのは最初だけ。まだ15歳で遊びたいさかりだったので、すぐにサボりはじめ、行くのをやめました。ジャニーさんから『YOU、ローラースケートできる?』と意思確認をされましたが、無視。その数カ月後、ローラースケートを学んだJr.たちによって光GENJIが誕生。中居の地元の1年後輩だった佐藤が加入していました」(前出・アイドル誌ライター)

 ジャニー氏のスカウトを無下にした2人。中居は昨年、自身の意志でジャニーズを退所。長野は11月のグループ解散後、ソロのタレントとして歩み出す。ともにアラフィフ。30年来の旧友として再会する日が来るかもしれない。

(北村ともこ)