嵐、海外での活動を総ざらい─“世界のアイドル”になるまでの軌跡

2020年12月2日

週刊女性PRIME

 日本での知名度を上げる中、嵐は海外にも進出していった。’06年の9月から11月には、グループ初のアジアツアーを開催した。

「台北とソウルの2か所で行いました。韓国で単独公演を行ったのはジャニーズで初めて。’08年には、東京、台北、ソウル、上海で2度目のツアーを行い、アジア圏での知名度を上げました」(スポーツ紙記者)

『台湾ジャニーズファン研究』(青弓社刊)の著書があり、アジア圏のジャニーズ事情に詳しい日本大学国際関係学部国際教養学科助教の陳怡禎氏は、嵐の人気は日本と連動していると指摘する。

「日本では、’05年にTBS系で放送されたドラマ『花より男子』で人気に火がつきましたが、このドラマは台湾や中国、香港でも放送されて現地でも反響が大きかった。ちょうどそのころ、アジアツアーを開催したことで、さらに人気が爆発しました。嵐が大ブレイクした時期はメンバーの誰かしらが毎年のようにドラマに出ていたので、根強い人気が続いたのでしょう」

現地の反響はすさまじく

 アジア圏でも人気を獲得したのには、5人の“武器”が功を奏したようで─。

「現地のファンは、ジャニーズグループの仲のよさを大切にします。“グループの誰と誰が仲よし”というエピソードを非常に喜ぶんです。その点、嵐はメンバー間の仲のよさを全面に出しているので、ファンの心をつかんだのかもしれません」(陳氏)

 海外での知名度を上げていった5人は、デビュー15周年となる’14年に、ハワイで『ARASHI BLAST in Hawaii』を開催した。

「9月20日と21日に行われ、日本でも全国209の映画館でライブビューイングされました」(前出・スポーツ紙記者)

 ハワイ在住の日本人に話を聞くと、当時の大フィーバーが記憶に残っていると話す。

「ライブ会場はコオリナという場所で、ワイキキから1時間以上かけてバスで送迎していました。送迎の車がたびたび走っていたため、道路が渋滞していましたね。私の友達のミーハーな家族は、会場の隣のホテルに泊まって、部屋の中からライブを見るなど、現地でも反響が大きかったんですよ」

 街は、まさに嵐一色だったという。

喋れなくなるほど泣いた大野

「日本から訪れる人が多かったからか、取材に訪れた報道陣は税関検査のスタッフに“あなたも嵐(を見にきたの)?”と聞かれたそうです(笑)。ショッピングモールには、アラフェスの旗が掲げられ、ラッピングバスが走るなど、街は嵐の看板だらけだったみたい」(テレビ局関係者)

 大舞台だったが、5人は取材対応でもサービス精神を忘れなかった。

「デビュー会見のときに乗っていたクルーザー船で囲み取材をしました。報道陣は船には乗らず堤防から取材したので、距離があって声が届きにくかったのですが、メンバーたちがICレコーダーを受け取って録音ボタンを押してくれたそうです。報道陣は彼らの気遣いに感動したみたいですよ」(同・テレビ局関係者)

 ハワイ公演を見たファンの女性は、ライブ以外でも5人の気遣いを感じたという。

「ワイキキにある大型施設で、コンサート前後の数日間、ツアーに参加した人だけが見られる特別映像が放映されていました。メンバーが嵐にまつわるクイズを出題して、ほかのメンバーが回答して嵐にいちばん詳しい人を決める企画でした。大野智クンが最下位になって、ほかの4人からいじられていました。ハワイでも5人らしい仲のよさが見られたのは、うれしかったですね」

 コンサート当日は、サプライズの連続だった。

「まず初めに5人が上空からヘリで降りてきたんです。サングラスをはずして颯爽と会場に降り立つ姿は、まさにスターでした。みんな度肝を抜かれて歓声が上がっていましたね。ライブは『A・RA・SHI』などのデビュー当時の曲からスタートし、激しいダンスが特徴の『PIKA☆NCHI』も披露。デビュー当時の荒々しい雰囲気を残しつつも絶妙な色気が加わり、5人がここまで成長したのだと胸が熱くなりました」(同・ファンの女性)

 コンサートを終えた後の挨拶では、メンバーも感極まっていた。

「大野クンがしゃべれなくなるほど大泣き。松本潤クンや相葉雅紀クンもつられて泣いていましたね。デビューからなかなか売れず、苦しかったときの思いを語りながら、 “嵐で本当によかった”“5人だからここまでやってこれた”と、チーム愛を強調し、嵐を誇りに思っていると言ってくれたのがすごくうれしかった。彼らの挨拶を聞いて、涙を流す人も多かったですよ」(同・ファンの女性)

『ジャニーズは努力が9割』(新潮社刊)の著書があり、ジャニーズ事情に詳しい霜田明寛氏は、嵐のハワイ公演は、グループにとって転機になったと話す。

「’99年にデビューした場所であるハワイでライブを行うという原点回帰だったと思います。ブレイクを果たし、15周年にデビューの地に戻ってきたのは大きいです。初期から応援していたファンにとっては、感動的だったと思います」

 ハワイ公演以降も、海外での活動に力を入れている。

「ブルーノ・マーズに楽曲提供してもらったり、この1年間で洋楽のような曲を多数出すなど、今年で活動を休止するグループとは思えないほど世界を意識しています。実績を残し後輩たちへの道を作ろうとしているのかもしれません。もともと、昨年亡くなった事務所社長のジャニー喜多川さんにとって海外進出は悲願だったので、5人が彼の遺志を継ごうと思いを強くしているのでは」(霜田氏)

“世界のアイドル”になった5人だが、20周年には世間を激震させて──。(※次回は12月22日発売号に掲載予定)