観光客が消えた京都で、抹茶スイーツに行列が…コロナ禍で聞かれた地元住民の“反省”

2020年11月3日

文春オンライン

 2020年、新型コロナ禍で日本の観光産業の問題が浮き彫りとなった。観光客が消えた京都で明らかになった、意外な事実とは。『観光は滅びない 99.9%減からの復活が京都からはじまる』から一部を抜粋し転載する。

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「観光客のせい」ばかりではなかった?

 先日、京都人の友人と食事をしていた時のことである。すっかり観光客のいなくなった最近の京都の様子について話をしていたのだが、友人がこんなことを言った。

「でも抹茶スイーツのお店に行列ができてたんですよ……!」

「え、まじですか!」僕も思わず驚く。そうか、あれ、観光客じゃなくても食べるんだ……。自分の目からうろこを剥がしながら、ああ、そういえば、と思い出したのが地元紙・京都新聞の読者投稿欄で見かけた投書である。

 あらためて確認してみると6月30日の記事であった。「散乱ごみ 外国客消えても」と題されたその投書は「街から外国人観光客がいなくなったのに街に散乱するごみがなくなっていない。ずいぶん彼らのせいだと言われていたのに」という旨の気づきを綴ったものであった。京都にはびこる抹茶スイーツもごみのポイ捨ても、「観光客のせい」だけではなかったのだ。

 風刺文学の記念碑的名著アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』。幸運なことに観光(TOURISM)という項目は見つけ出せなかったのだが、残念ながら旅券(PASSPORT)という項目はこのように記されていた。

〈 PASSPORT【旅券】名–外国へ行く市民が騙されて持たされる書類で、彼がよそ者であり、特別に差別し暴行を加えるべき人間だと指摘する。〉

 ビアス自身も旅の途上のトラブルで亡くなったと伝えられていることを思うと実に皮肉だが、受け入れる地域社会にとって旅人という存在がどのようなものか、その本音を辛辣に描出した言葉といえるかもしれない。今回のコロナ禍でも「県外ナンバー狩り」などが問題となったが、なるほど、京都に暮らす僕らもずいぶんいろんなことを「観光客のせい」にしてきたのかもしれないと反省した次第である。

 これまでは迷惑に思うことがあったとしても、一度現実に観光客の消えた街を目撃した地域社会のまなざしの変化は大きい。「舞妓パパラッチ」など観光客の迷惑行為に悩まされ、「私道の撮影禁止」とともに罰金の警告を掲示していた祇園の花見小路界隈に立てられるマナー啓発の高札も、罰金警告などはない幾分ソフトな「祇園のお約束事」へと内容があらためられることになった。

 早くも各地の観光関係者から、コロナ禍を契機に地元住民との関係性に歩み寄りが見られるようになったとの声が上がっている。「観光のせい」にしていた気づきと、「観光のおかげ」への気づきである。

「東京差別」や「県外ナンバー狩り」などコロナ禍をきっかけに様々な外集団との分断が際立ったが、一方で地域社会全体の危機に際して、各地域の観光産業があらためてコミュニティの一員として再認識されるようになったという側面もあるようだ。

コロナが観光と地域を結びなおす

 これまで観光業が地域社会では少し「浮いた」存在であったのは、それは観光業が地元住民との関わりが少ない業種であったからでもある。誰でも自分の街に行きつけの居酒屋やいつも買いものに行くスーパーなど、愛着と思い出のある店がある。しかし、自分の街に定宿がある人は多くはないだろう。

 たとえば、あなたの家の近所の馴染みのレストランが取り壊されたとしよう。「残念だけど仕方ないか……」。あなたはそう思いながら、毎日、工事現場の前を通りかかる。そして「今度はどんなお店ができるのだろう。またレストランだろうか。今度はイタリアンだったらいいな。ここだったら仕事帰りに立ち寄りやすいし」。そんなふうに少し楽しみにしている。

 しかし、ある日、あなたはその敷地には今度はホテルが建つことを知る。その工事が完了しても、あなたがその建物に立ち寄ることはもうないだろう。

 つまり観光客のための施設とは基本的には地元住民にとって立ち入ることがあまりない場所だ。だから京都の「お宿バブル」のように、街中にホテルがみるみる乱立していくという状況は、住民にとっては、ひとつ、またひとつと自分たちの立ち入らない場所が増えていくということでもある。そして「このままでは観光によって街から閉め出されてしまう……!」という危機感を抱く。

 観光と地元住民が往々にして対立的な関係に陥ってしまう要因のひとつはこの構造によるものである。

 だからこそ、緊急事態宣言が明けたばかりの2020年6月に京都にオープンしたエースホテル京都が、映画館や商業施設など、あえて観光客だけでなく地元住民にとっても愛着や思い出を育むことのできる施設を併設したのは、この場所を観光客だけのための場所にしないという実験的なコンセプトによるものである。

 また京都市は、災害時の避難所における新型コロナウイルス感染症対策のひとつとして、ホテルの空き部屋を短期間の避難場所として活用する仕組みの構築について市内12か所のホテルとの合意を得た。

地元住民による地元の宿泊施設利用を促進

 そしてコロナ禍以後、長距離移動を伴う旅行が自粛・忌避されるムードのなか、たとえば星野リゾートは「3密を避けながら地元の方が近場で過ごす旅のスタイル」として「マイクロツーリズム」を提唱した。

 また京都市主催の「地元応援! 京都で食べよう、泊まろうキャンペーン」のように多くの自治体が地元住民による地元の宿泊施設利用を促進するキャンペーンを打ち出した。本書の第3章で紹介したゲストハウスのように、地元・近隣住民をターゲットにしたテレワーク・プランなどを打ち出す事業者も多い。

 これらはインバウンドや国内長距離旅行客の取り込みが難しい期間の急場しのぎの策に見えるかもしれない。しかし、先述のように観光コンテンツの造成や維持などの視点からも、より「強い観光業」に育てていくには地元の協力が不可欠なのだ。また地域の課題を観光で解決するという関わり方も模索されており、地域社会の資源を発掘して消費するだけの営みではなく、観光が地域社会にとって「なくてはならないもの」になるためには欠かせない視点である。

 コロナ禍における観光の停止を機に地元住民との新たな関係性のあり方を築き、今こそ地元住民の支持を得た「強い観光業」として生まれ変わる好機と考えている関係者は多い。これらの取り組みはその糸口となるかもしれない。

 このようにコロナ禍がもたらした未曾有の観光危機によって、これまでとは異なる様々なアプローチで地域と観光の双方からの歩み寄りの兆しが見られるようになった。もし、コロナ禍の衝撃で地域社会と観光の関わりそのものが変わるならば、そのうえで再び立ち上がるウィズ・コロナ、そしてアフター・コロナの日本の観光はどのような形のものになるのだろうか。

(中井 治郎)

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